ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

自死遺族として生きること

自死遺族の婚活と家族像について

前回に引き続き婚活について考えたことについて。 ◇配偶者の自死 ネット婚活していた頃、私は23~24歳くらいだった。 かなり若い。 むしろ婚活市場では若すぎる。 だが、若すぎる私に対して、かなり上の年齢の方からメッセージが来ることも多くあった。 年の…

母の日とカーネーションの色とお墓参りについて

五月の第二日曜日。 母親に日頃の感謝を伝え、カーネーションを贈る日。 今回はそんな母の日について。 ◇カーネーションの色 母の日と言えば、赤いカーネーションが定番。 元々は、亡き母を追悼する意味で白いカーネーションを贈ったのが起源らしい。 そこか…

もしもまったく知らない他人が自死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたら

※私が個人的に考えたことを書いているだけの記事です。 ◇他人の自死 考えてしまった。 その人の背景も性格も歴史も何一つ知らない状態で、まさに今死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたとしたら、自分はどうするだろう。 会話を交わせる距離感だとして、…

母の自死から八回目の命日を終えて

母の八回目の命日が終わった。 ごく普通の平日で、強いて言えば仕事がやたら忙しかった。 帰り道、母が好きだったチープ・トリックの曲を少しだけ聴いた。 涙は出なかった。 当日はお墓参りにしなかった。 前後の土日も用事があって行けなかった。 最後にお…

私にとっての幸せは、どうやら一般的な幸せとは違うらしいと悟った初めての結婚式の話

◇友人の結婚式 先日、友人の結婚式に出席した。 私はあまり人付き合いが得意ではなく友人も多いほうではないので、今回が人生初の結婚式だった。 マナーや暗黙の了解といったものがわからずあれこれ調べたり、不安でお腹が痛くなったりしたが、いざ当日を迎…

私が「自死遺族の集い」や「分かち合いの会」への参加を躊躇ってしまういくつかの理由

今まで、母について誰かに伝えようと思うことはほとんどなかった。 普通にご飯を食べて、普通に働いて、普通に笑っているときも、常にとてつもなく大きな後ろめたさを抱えているような感覚、嘘の人生を生きているような居心地の悪さがあった。 昨年このブロ…

そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ

愛犬Aの話の続き。 前回(四人目の家族だった愛犬Aとの思い出)は彼女との出会いや散歩の記憶など、元気いっぱいだった頃のことをメインに書きましたが、今回は別れの思い出です。 ◇腫瘍と手術 10歳を目前にしたAの歩き方に異変を察知したのは母だった。 …

七回忌を境に母を「帰らぬ人」として穏やかに思い出せるようになった

母は私が大学に入学する直前に首を吊った。 葬式の一週間後、まだ訳もわからないうちに大学生活が始まった。 直後の諸々は以下の記事で書いた通り。 自死遺族になったばかりの頃にしんどいなあと感じたこと 今回は自死遺族となってからの私がどう過ごし、数…

久しぶりに紙の本を買った、自分の気持ちを大事にしようと思った

2018年は自分の中で変化のあった年だった。 仕事、プライベート、将来、家族との関わり方、他人との関わり方……などなど、このままで良いのか変える努力をすべきかわからなくなってしまった。 その結果、まずは整理し切れていない思い出や気持ちをアウトプッ…

そもそも母は私のせいで鬱病になり、私のせいで死んだのではないか、という話

母の自死について私は自分が加害者なのではないか、と、ぼんやりした不安を抱えることはあったが、あるときからひとつの可能性として客観的に考えるようになった。 ◇母子手帳がない! きっかけは、大学で受けた健康診断。 最後の問診ではしかの予防接種を受…

自死遺族になったばかりの頃にしんどいなあと感じたこと

母の死後、初めて一人で外出することになった日、父は凄まじく心配していた。 私は母と仲が良く友達のように過ごしていたので後を追わないか気が気じゃなかったのだろう。 葬式を終えた私には大学の初登校日が目前に迫っていた。 あれこれ用意しなければなら…

首を吊った母と元メンヘラの私について

はじめまして。 静かな沖と申します。 26歳独身、ふつーのOLとして暮らしています。 私が19歳のとき、母が自宅で首を吊った。 いわゆる自死遺族というやつだ。 ちなみに葬式の一週間後から大学生活が始まった。割とつらかった。 今まで母のことは深く考えな…