自死遺族になったばかりの頃にしんどいなあと感じたこと
母の死後、初めて一人で外出することになった日、父は凄まじく心配していた。
私は母と仲が良く友達のように過ごしていたので後を追わないか気が気じゃなかったのだろう。
葬式を終えた私には大学の初登校日が目前に迫っていた。
あれこれ用意しなければならないものを買いそろえるために私はスーパーへ行った。
間が悪いことに、催事場コーナーでは大々的に母の日フェアが催されている時期だった。
「お母さんありがとう!」という言葉が嫌でも目に入る。
赤いカーネーションがたくさん用意されている。
確か死んだ母親には白いカーネーションを贈るんだったっけな、と思いながら私はコーナーを横目に通り過ぎた。白いカーネーションは見当たらなかった。
足元がふわふわして、町も、道も、スーパーも、何一つ変わらないのに、自分の生活は何もかも変わってしまったと思うと不思議な気持ちだった。
母が首を吊ろうが、私が父と二人暮らしになろうが、当たり前のように世間は過ごしているのだ。
そして私も、母のいない世界で平気な顔をして暮らしていかなければならないのだ。
不公平だと思った。
父はまた会社に行き始めた。
とりあえず私はできる範囲で少しずつ家事を始めた。
幸いなことに、我が家には犬がいた。
父が不在のときに出掛けて、家に帰ってきて、「おかえり」という母の声は聞こえなくても、嬉しそうに駆け寄って全身で出迎えてくれる犬の存在が私にとっては非常に大きかった。
生活がまるで変わってしまっても、犬はご飯を要求するし、散歩に連れて行かなければならないし、排泄もすれば勝手にカーペットを汚してしまったりする。
バタバタとその世話に追われることが結構救いになっていたと思う。
ひとりで家にいるといろんなことを考えてしまった。
どうして止められなかったと自責の念に駆られたり、五十前で絶たれてしまった母の人生に虚しくなったり、何故自分を置いていったのかと怒りに襲われたり、十代で親に自殺された自分の人生を嘆いたり、日によってころころ感情が変わった。そしてずっと泣いていた。
母がぼうっと床を見つめて座っていたソファーの上で泣いていると、いつも犬が寄り添ってくれた。
犬は言葉を話さないが、人間の感情は理解していると思う。
心配そうにうろうろして、あたたかい体でどうにか慰めようとしてくれた。
「誰にも母が首を吊ったと言うな」と父はきつく言い渡した。
そんなことはいうもんじゃない、と言っていた。
私はほぼ八割方父のせいで母が追い詰められたと考えていたので、「自分のせいで妻が自殺したなんて認めたくないんだろうな」「体面ばっかり気にして母の自殺も隠蔽するのか」と腹立たしく思った。
母の自殺という事実を隠そうとする父に不満はあったが、だからといって自分も誰かに相談しようとは思えなかったので、誰も見ない自分専用のノートに延々と気持ちを綴ったこともあった。
泣きながら書いたので紙がぐにゃぐにゃと波打っている。
殴り書きのようなときもあれば、今にも消えそうな字で書かれている文字もある。
どうにかして自分の言葉にならない感情を昇華しようとずっともがいていた気がする。
父は母の死から約一年半ほど、毎晩啜り泣いていた。
嗚咽の合間に、母の名前を何度も呼んで、父はずっと泣いていた。
残念なことに我が家に分厚い壁はなくすべて筒抜けで、私はそれを聞いていたくなくて深く布団に潜って耳を塞いでいた。
父にとって母は所詮元はといえば他人じゃないか、私にとってはたったひとりの母親で絶対私のほうが悲しいのになんで自分が傷ついたみたいに毎晩毎晩泣き声を聞かせるんだ、と思った。
そしてその悲痛な声を聞いていると心臓がきりきりと痛くなるのだった。
何年か経ってから聞いたらまるで覚えていないらしい。驚きだ。
私もよく母の夢を見た。
しかもだいぶ質の悪い夢。
毎回シチュエーションは少しずつ違う。
母が死んだ当日のこともあれば、告別式のときもあり、普通にリアルタイムな設定のときもあった。
夢の中で私は母の名前を呼んで泣いている。
するとひょっこり母が現れるのだ。
「首吊ったんじゃなかったの?」と私は驚いて尋ねる。
「うん。でも死ねなかった。ごめんね」と母は悲しそうな顔をする。
私は目の前のことが信じられなくて、母の顔に何度も触る。
あたたかくて、やわらかくて、息をして、動いている。
母が生きている。母は死んでなかったんだ!!
そう思うとうれし涙が流れてきて、私はぼろぼろ泣きながら母を叱る。
「私もお父さんもおばあちゃんもご近所さんもみんな心配したんだよ!? なんでわかんないの!? みんな凄く泣いてたよ!? お母さんは死んじゃだめなんだよ!?」と肩を掴んで私は喚く。
しばらく喚いた後、いつものように悲しそうな顔をしている母に罪悪感がこみ上げてきて私は何度も謝るのだ。
「ごめんね。何にも話聞いてあげなくて。辛いのに家事たくさんやらせて。もう何もしなくていいしただそこにいてくれるだけでいいし鬱病治そうとか頑張りすぎなくていいんだよ。いてくれるだけで嬉しいんだよ。今までごめんね」と言っているうちにまた泣いてしまう。
仕舞いには母も泣き出してしまう。
そして犬が母に駆け寄り、母の顔をぺろぺろ舐めて大喜びで吠えると父がやってくる。親戚もご近所さんもみんな集まって、ああよかった、母は死んでいなかったのだ、今まで通りになったんだとほっとして、母はその真ん中で困ったように立っている。
そういう夢。
母が亡くなって一年くらいはしょっちゅうあの夢を見た。
夢の中で私はすごく幸せなのだ。
全部嘘だったんだ!と毎回目の前がぱーっと開けていくみたいに開放的な気持ちになる。
そして目が覚めるとしばらく現実に戻れない。
「あれ?お母さんさっきまでいたよね?え?」としばらく混乱し、徐々に頭が覚醒するとどんより重い気分になる。
母は死んだ。
生き返ることはない。
母のいない世界で私は暮らすしかない。
夢の中でぬか喜びした反動で、目が覚めた後はいつもより辛くなる。
なんか……あまりにもあんまりな感じがするのだ。
願望でしかない、自分だけに都合の良い夢。
七年以上経った今はもう全然見ない。
あのときは本当に本当に辛かった。
そうこうしているうちに大学が始まった。
初めて行った大学生協でしたことは共済金の請求だった。
「母が亡くなったので、共済金をもらいたいんですけど」と言うと、受付のおばさんとその隣の女性はとても同情的な顔をしていた。
たしかに大学入学早々いきなりそれって結構絶望的な感じだ。
が、世間話でも始めそうなノリで「それは大変でしたねぇ……」とさも共感しているような調子で語られて私は若干いらっとしてしまった。
おばさんに悪意はなかっただろう。
もしかしたら彼女も親戚が亡くなられたばかりで本当に共感してくれていただけかもしれない。
でも私にはそう思えなかった。何も知らないくせに、私の気持ちなんてわからないくせに、とキレそうになった。
「あの、手続きをしたいのですが」
「そうでしたね!ごめんなさいね私ったら。お母様はご病気で亡くなられたの?」
「自殺です」
そう言ったときのおばさんの顔はちょっと滑稽だった。
おばさんも、隣の若い女性もわかりやすく固まった。
私はあのときどんな顔をしていたのだろう。
真顔か、キレそうな顔か、泣きそうな顔か。
必要書類はすべて揃えていたので、その後は淡々と事務的に処理してくれた。
手続きを終えて、確か五万か十万くらい振り込まれた気がする。
最後におばさんに頭を下げて、私は初めての大学生協を後にした。
わかったような顔をして同情する彼女が腹立たしくて、驚いた顔をしているのを見てスッキリした。
いい気味だと思ったけれど、何故か私は帰り道悲しくなって電車の中で勝手に溢れてくる涙を誤魔化すためにずっと寝たふりをした。
もう人に「母が自殺した」と言うのはやめようと思った。
大学生活が始まり、ぼんやりとしながらも一応友人ができた。
彼女は面倒な課題や、ちょっとした忘れものをしたとき、ヘアスタイルが上手くいかなかったときなど、よく「首吊りたい」と言った。
しばらく付き合うとそれは口癖だなとわかったのだが、私は毎回しんどいなあと思った。
「もう首吊りたいよ~」「ああ早く首吊りたいわ~」と甲高い声で笑う彼女の声を聞く度に耳を塞ぎたくなった。
本当に首を吊りたい訳じゃないだろうし、深い意味などないとわかっているのに。
「私のお母さん、先月首吊ったんだ」と言ったらどんな顔をするのかな、と思った。
あの生協のおばさんみたいな顔をするんだろうな、と思った。
きっと言ったら少しだけすっきりして、また無駄に悲しくなるだけだな、と思った。