ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

気分屋で怖かった父との思い出

父の日ということで、父との思い出について。 ◇週末 小さい頃、私にとって父は絶対的な存在だった。 全部言うことをきかなければならないと思っていたし、父の言うことはすべて正しいと思っていた。 父は気分屋で時にめちゃくちゃな理由でキレたり、理不尽な…

自死遺族の婚活と家族像について

前回に引き続き婚活について考えたことについて。 ◇配偶者の自死 ネット婚活していた頃、私は23~24歳くらいだった。 かなり若い。 むしろ婚活市場では若すぎる。 だが、若すぎる私に対して、かなり上の年齢の方からメッセージが来ることも多くあった。 年の…

入社後「結婚しなければならない!」と必死でネット婚活していた頃の話

新入社員として入社後、私は必死だった。 とにかくすぐに結婚しなければならないと思っていた。 若いうちに良い相手を見つけて、無難に結婚して、早く子どもを産まなければならないと追い詰められていた。 今回はそんな婚活をしていた頃の話です。 ◇結婚しな…

自分の頭で考えることを放棄して「○○しなければならない」と逃げていた

重要な選択から、日常のちょっとした振る舞い、会話の際に何をどう話すか、何を飲み込んで伝えないようにするか。 自分のそういった諸々の言動の根拠が、頭の中の「○○しなければならない」というイメージに支配され過ぎているかもしれない。 と、最近気づい…

今のままじゃ嫌だけれど転職する気力もなかった私の、最初の一歩目の話

お題に参加しました。 今回は、一般職五年目の私がずっと抱いていた「迷い」と、迷いながら下した「決断」について。 ◇今のままで良いのか? 私の職種は一般職で、事務の仕事をしている。 以前の記事(「平成最後の日」に考えたのは仕事との向き合い方でした…

母の日とカーネーションの色とお墓参りについて

五月の第二日曜日。 母親に日頃の感謝を伝え、カーネーションを贈る日。 今回はそんな母の日について。 ◇カーネーションの色 母の日と言えば、赤いカーネーションが定番。 元々は、亡き母を追悼する意味で白いカーネーションを贈ったのが起源らしい。 そこか…

もしもまったく知らない他人が自死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたら

※私が個人的に考えたことを書いているだけの記事です。 ◇他人の自死 考えてしまった。 その人の背景も性格も歴史も何一つ知らない状態で、まさに今死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたとしたら、自分はどうするだろう。 会話を交わせる距離感だとして、…

「平成最後の日」に考えたのは仕事との向き合い方でした

平成が終わる。 テレビでもネットでも何かと特集が組まれている。 平成という時代を振り返り懐かしむこと。間もなく新しい年号の時代が幕を開けること。そして異例の十連休。 そういったことが全部組み合わさってなんとなくふわふわとした空気が流れている気…

母の自死から八回目の命日を終えて

母の八回目の命日が終わった。 ごく普通の平日で、強いて言えば仕事がやたら忙しかった。 帰り道、母が好きだったチープ・トリックの曲を少しだけ聴いた。 涙は出なかった。 当日はお墓参りにしなかった。 前後の土日も用事があって行けなかった。 最後にお…

私にとっての幸せは、どうやら一般的な幸せとは違うらしいと悟った初めての結婚式の話

◇友人の結婚式 先日、友人の結婚式に出席した。 私はあまり人付き合いが得意ではなく友人も多いほうではないので、今回が人生初の結婚式だった。 マナーや暗黙の了解といったものがわからずあれこれ調べたり、不安でお腹が痛くなったりしたが、いざ当日を迎…

新入社員のときに絶望したこと・社会人になってから驚いたこと

年度末の三月あまりにも自分に余裕がなく、「年度末さえ終われば楽になる……四月になれば楽になる……」と唱えながらどうにか乗り切ったものの、四月になってから段違いに忙しくなり頭を抱えている。 まあ、忙しいといっても「忙しい(当社比)」な感じで、休日…

花粉の時期になると思い出す、登下校の合間にこっそり煙草を吸った中学時代のこと

※中学時代の喫煙について書いていますが、二十歳未満の喫煙を推奨する意図は一切ありません。 ◇花粉症デビュー 社会人になってから花粉症デビューした。 目の痒みで目が覚める。サラサラの鼻水が延々と流れ落ち続ける。くしゃみが止まらない。晴れた日のほう…

綺麗なものが好きだった母の描いた「ミロのヴィーナス」

今回も母の昔話で、美醜と絵に纏わる思い出です。 ◇いじめとコンプレックス 母は大人しい性格の子どもで運動や外に出て遊ぶことが苦手、基本的に室内の遊びを好んだ。 そして物心ついた頃からいじめに遭っていた。 きっかけは名前。 母の名は品のない言葉と…

母と愛猫Tと捨て猫たちと猫嫌いだった祖母の話

母はあまり友人が多いタイプではなかった。 彼女が亡くなったとき、やがて母という人間が生きていたことも忘れられてしまうのだろうと思うと悲しかった。 母がちょっとしたときに話してくれた思い出、つらかったことや悲しかったこと、楽しかったことや嬉し…

私が「自死遺族の集い」や「分かち合いの会」への参加を躊躇ってしまういくつかの理由

今まで、母について誰かに伝えようと思うことはほとんどなかった。 普通にご飯を食べて、普通に働いて、普通に笑っているときも、常にとてつもなく大きな後ろめたさを抱えているような感覚、嘘の人生を生きているような居心地の悪さがあった。 昨年このブロ…

はじめての内々定で散々悩んだ末に結局就活を続行し9ヶ月粘った一般職志望の結末

一般職志望だった文系私大出身の私が新卒で就活をしていたときの思い出、後編です。 前回(志望動機もなく突き進んだ就職活動が見事に詰んでメンタルがやられたときのこと)、就活でとにかくつらかったことばかりを書いてしまったので、もう少し具体的なこと…

志望動機もなく突き進んだ就職活動が見事に詰んでメンタルがやられたときのこと

このブログでは主に過去の出来事を書いているが、現時点の私はそろそろ5年目に入ろうとするOL(というかふつうの会社員)だ。 入社間もない頃は目の前のすべてが新鮮でわからないことだらけ、毎日あたふた過ごしていた。今だってしょうもないミスをしたり自…

緊張しすぎたセンター試験と強制終了した大学受験の思い出

前回(中学・高校・大学全部受験したものの全部崖っぷちだったなという話)の続きで、大学受験が終了するまでの思い出話です。 ◇センター試験 私は文系で、国立大学を志望していた。 志望校はセンター試験の比重が高かったのでとにかくセンター試験対策をメ…

中学・高校・大学全部受験したものの全部崖っぷちだったなという話

「受験勉強」と聞くと未だに何とも言えない嫌な気分になる。 私は中学受験・高校受験・大学受験と全部筆記試験で通ってきたのだが、一度として満足のいく受験期を過ごすことはできなかった。 今回は個人的な受験の思い出です。 ◇中学受験 小学校のとき、私は…

愛犬からのプレゼント?Aの死後、立て続けに……

小学生の頃から一緒に過ごした愛犬のAは、私の就活の最中、真夏の朝亡くなってしまった。 前回(そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ)の続きとして、今回はAの死後のことを書こうと思います。 ◇ペットの弔い方 Aの体はどんどん…

そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ

愛犬Aの話の続き。 前回(四人目の家族だった愛犬Aとの思い出)は彼女との出会いや散歩の記憶など、元気いっぱいだった頃のことをメインに書きましたが、今回は別れの思い出です。 ◇腫瘍と手術 10歳を目前にしたAの歩き方に異変を察知したのは母だった。 …

四人目の家族だった愛犬Aとの思い出

今回は、昔飼っていた犬の話。 父、母、私の三人家族に加わった彼女は、私にとって「ペット」というより四人目の家族だった。 私が小学校二年生のときから飼い始め大学四年まで生きたので、物心ついてから社会人になる直前までを共に過ごしたことになる。 犬…

七回忌を境に母を「帰らぬ人」として穏やかに思い出せるようになった

母は私が大学に入学する直前に首を吊った。 葬式の一週間後、まだ訳もわからないうちに大学生活が始まった。 直後の諸々は以下の記事で書いた通り。 自死遺族になったばかりの頃にしんどいなあと感じたこと 今回は自死遺族となってからの私がどう過ごし、数…

久しぶりに紙の本を買った、自分の気持ちを大事にしようと思った

2018年は自分の中で変化のあった年だった。 仕事、プライベート、将来、家族との関わり方、他人との関わり方……などなど、このままで良いのか変える努力をすべきかわからなくなってしまった。 その結果、まずは整理し切れていない思い出や気持ちをアウトプッ…

薬で心は治せるか?あの頃感じていた息苦しさの正体

私が14歳~17歳まで精神科に通っていたときの話と、あの頃に感じていた息苦しさの話です。 ◇精神科通い 前回の記事で書いたODからの入院を経て、私の精神科通いは始まった。 ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話 正確にい…

ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話

中学時代、私が自殺を図ったときの話です。 ODや自殺を推奨する意図は一切ありません。 とにもかくにも「死にたい」という思いばかりが頭を巡っていた私は何度かODしたことがあった。 ODとはオーバードースの略で、薬を過剰に摂取すること。 といっても、当…

今さら自傷行為と無縁の思春期をやり直すこともできないので

私の左腕には、未だに治らない傷跡がたくさん残っている。 12年前、母が健康だった時期、中学生の私はとにかく死にたくて、毎日腕を切っていた。 今回はそんな私自身の話です。 ただ、私はいかなる自傷行為も推奨する意図はないし、逆に自傷行為が絶対的な悪…

そもそも母は私のせいで鬱病になり、私のせいで死んだのではないか、という話

母の自死について私は自分が加害者なのではないか、と、ぼんやりした不安を抱えることはあったが、あるときからひとつの可能性として客観的に考えるようになった。 ◇母子手帳がない! きっかけは、大学で受けた健康診断。 最後の問診ではしかの予防接種を受…

自殺の予兆、イレギュラーな行動~母の場合~

母が首を吊った後、いろいろ考えた。 自殺は突然のことのように思えたが、よくよく記憶を掘り返してみると「あっこれ完全に死のうと決意してたからじゃん」と気づくことがたくさんあった。 私の予想でしかないが、きっとこういうことがきっかけで自殺決行に…

自死遺族になったばかりの頃にしんどいなあと感じたこと

母の死後、初めて一人で外出することになった日、父は凄まじく心配していた。 私は母と仲が良く友達のように過ごしていたので後を追わないか気が気じゃなかったのだろう。 葬式を終えた私には大学の初登校日が目前に迫っていた。 あれこれ用意しなければなら…