そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ
愛犬Aの話の続き。
前回(四人目の家族だった愛犬Aとの思い出)は彼女との出会いや散歩の記憶など、元気いっぱいだった頃のことをメインに書きましたが、今回は別れの思い出です。
◇腫瘍と手術
10歳を目前にしたAの歩き方に異変を察知したのは母だった。
年を取り足取りが重くなってきていたのは事実だったが、だとしてもおかしい。そして抱っこしようとすると悲鳴を上げる。ただ嫌がっているだけではない、耳にキーンと響くような鋭い声だった。
よくよく観察するとAの左前足の付け根、脇の辺りに丸いしこりができていた。そこに触れると痛いのか悲鳴を上げる。私たちは真っ青になった。
いつも通っているペットクリニックに行った。
狂犬病の注射や避妊手術をしてもらったのもそこで、旅行にいく際に何日か預かってもらったこともある。
先生は重苦しい声で「左胸に腫瘍ができています。一年持たないでしょう。手立てはありません」と言った。
いつか訪れると覚悟はしていたが、いざそう告げられると思考が停止する。
あと一年でAは死んでしまう?手立てはない?ぐるぐると堂々巡りでひたすら暗い考えばかりが頭を占める。既にこのとき鬱病になっていた母は誰よりも落ち込んだ。
そんなとき助けてくれたのはご近所さんだった。偶然すれ違ったご近所さんは犬や猫を飼っていて、既に何匹かを看取ったこともある方だった。
病院でこう言われて~と相談をすると、通っている病院を聞かれた。名前を告げる。ご近所さんはキッパリと「あそこはやめたほうがいい」と言った。
そして、少し遠い、大きな病院を薦められた。そちらは規模が大きく、施設も充実しており、大がかりな手術にも対応してくれるのだという。
私たちは藁にも縋る気持ちで薦められた病院へ向かった。
先生の反応はまるで違った。
きちんとレントゲン写真を見せてくれた(前のところはそれすらなかった)。そして、どこに何カ所腫瘍があり、手術するとしたらこんな内容になる、と丁寧な説明。正直めっちゃくちゃほっとした。
即手術をお願いした。その頃にはピンポン玉くらいまで大きく膨らんでいた脇の腫瘍は綺麗になくなり、Aは再びとことこ歩けるようになった。ただ、先生からは肺にも腫瘍があるかもしれないのでよく気をつけてあげてくださいと念を押された。
◇母の死後
その後は体調が悪化することもなく、最初の病院で余命一年と告げられたAは無事に一年を乗り切り、元気に毎日を過ごした。
しかし、Aが11歳になる年の春、母が首を吊った。
母が亡くなる直前に会話を交わしたのはAだと思う。
あれほど溺愛し、大切に育ててきたAに対して母は最後何と告げたのか。永遠の謎だ。
そして父、私、Aの三人での生活が始まった。
私は家にこもり気味の生活を送っていたがそうは言っても大学生で、父は普通の会社員。
Aは寂しかったと思う。昼間はひとりぼっちにさせる日が続いた。
父は動物が苦手だ。
Aは父が大好きで、毎晩父が帰宅すると真っ先に駆け寄ったが、父のほうはぽんぽんと頭に触れるのが精一杯。さらに父は重度の潔癖症で汚いものが大嫌いだった。
Aを嫌うまでとはいかないまでも、Aに少しでも触る度に三分以上掛けて手を洗うような徹底ぶり。もちろん抱っこなんて一度もしたことがなく、ほとんどAの世話に参加することはなかった。
基本的に、母の死後は私がAの世話をしていたが、試験中や忙しい時期に家事も含めすべてこなすのはなかなか難しくなってきた。
すると父は自らAの世話をし始めたのだった。
散歩をした後Aを抱っこして風呂場まで運び、足を洗ってあげている父の姿は衝撃的だった。以前では考えられない光景。
最初は抱っこの仕方が明らかにおかしくてAも暴れ回っていたが、次第に慣れていくのがわかった。父は相変わらずAが苦手で文句ばかりだったが、少しずつ気持ちが変化していったようだった。ちょっとしたときに全身を撫でてあげたり、膝に乗せてあげたり、あからさまに可愛がるようになっていった。
父がどう考えていたかはわからないが、母のいない家で毎日寂しく留守番をするAの姿に思うところがあったかもしれない。
◇歩けない、食べられない
母が亡くなってから三年が過ぎた。
10歳目前に一年持たないと言われたAが14歳になろうとする年だった。
Aは後ろ足を引きずって歩くようになった。はじめは左だけ。
前足に比べか細く、階段を上る際にも力が入るからか、すっかり筋肉が衰え体を支えられなくなっていた。30分~長いときは一時間ほどかけて歩いた散歩コースは大幅に短縮され、近場をぐるっと一周するだけで物凄く時間がかかった。
徐々に左だけでなく、右の後ろ足も力が入りづらくなったAはますます歩けなくなった。散歩途中で寝そべった状態から立ち上がれなくなり、抱っこして帰ることが増えた。抱っこの時間はどんどん長くなっていった。
夏になった。
Aはご飯を食べようとしなくなった。
いつもならドックフードをお皿に出せば後ろ足を引きずりつつ嬉しそうに寄ってきて食べるのに、全く近寄る素振りがない。
Aの目の前までお皿を持って行くと、くんくん匂いを嗅ぐが口を開こうとしない。
ドッグフードを一粒ずつ手にとって口元に運ぶとようやく僅かに口を開けて、ゆっくり咀嚼して飲み込んでくれた。それを四、五回繰り返すと、Aはまた寝っ転がってしまうのだった。
そんな時期がしばらく続いた。一粒ずつ渡しても食べてくれないときは、水でふやかして噛みやすいようにした。
しかし、お盆に入ろうとする頃、そうやって口にドッグフードを運んでもAは一切反応しなくなってしまった。困った顔をしてこちらを見上げ、やがて元通り寝っ転がって目を閉じてしまう。
苦肉の策として、唯一食べてくれるAのお気に入りのお菓子の上にドッグフードを乗せ、口元に運んだ。そうするとお菓子を食べようとして偶然ドッグフードが口に入り、どうにか飲み込んでくれる。
最低限の食料と、最低限の水を摂取するのが、衰えたAには精一杯のようだった。
元気だった頃も、彼女にとって夏はつらい時期で毎年ぐったりしていた。
見るからに衰えフローリングを歩くのも辛そうな様子のAがこの夏を超えられるのか。無理かもしれない、と私は内心思っていた。
ちょうど私は大学四年生で就職活動の真っ盛りだった。まだ学生のうちは時間の融通が利くが、社会人になって働き出したら今まで以上にAがひとりぼっちの時間が増えてしまう。
もちろん、Aには長生きしてほしい。Aがいなくなるなんて嫌だ。
でも、父と私が仕事の為に出掛け、誰も傍にいない家で息を引き取るAの姿を想像すると耐えられなかった。それならばいっそ、という思いがどこかにあった。
◇真夏の早朝
八月の終わりの土曜日、私は父と地元の花火大会を見に行った。
子どもの頃は毎年家族三人で会場まで歩いて行って、帰りにみんなでご飯を食べるのが恒例行事だった。いつしかその習慣もなくなってしまったが、せっかく大学最後の夏だし行ってみようという話になったのだった。
少しだけ暑さが和らいだ日で、Aの調子は良かった。
花火を見に行く前、散歩に出掛けた。家の前の通りをゆっくり歩いた後、珍しく自ら階段を上ることもできた。ドッグフードはほとんど食べられなかったが、お菓子は比較的元気よく食べていてほっとした。
花火から帰るとAはベッドですやすや眠っていた。
ケージに入れてあげようと抱っこすると、Aは嫌がって暴れた。動かない左足を庇ってぴょんぴょん跳ねるようにして移動し、自らケージに入っていった。私はAの頭を撫でておやすみ、と言った。
翌朝、バタバタと音がして目が覚めた。
玄関で父が何か騒いでいる。ただ事ではない様子の声に嫌な予感がした。
私は慌てて階段を駆け下りた。
玄関にAがいた。呼吸がおかしかった。引き攣るような音だった。
Aの元に駆け寄って頭を撫でた。A、と呼んでも反応しない。不規則な呼吸を繰り返すAは両目を見開き、おかしな方向を見ていた。私の声も聞こえていない様子だった。
私はただただA、Aと呼び続け、頭を撫で続けた。
苦しそうな呼吸音が途切れ、やがて何も聞こえなくなった。
父と一緒にケージまでAを運んだ。
何度も名前を呼んだ。体中を触った。耳の裏を撫でて、前足を擦って、背中を撫でて、顔に触れた。Aの体はまだあたたかかった。あったかくて、柔らかくて、だから私はわからなかった。
Aはそのとき既に事切れていた。
ぴくりとも動かないAの真ん丸く開いた瞳孔を見て、ようやく私はAが死んでしまったとわかった。
唯一幸いだったのは、日曜日の朝で父も私も家にいる時間だったことだ。
たぶんAの意識はなかっただろうが、父と私でAを看取ることができた。
最後にみんなに会いたいって思ってくれていたのかな。
小さな頃から傍にいて、兄弟みたいに育ったA。
一緒に泥だらけになるまで走り回ったA。
母が亡くなった後、どうしようもなく悲しくて泣き続ける私の隣にひっそり寄り添い、ぺろぺろと涙を舐めてくれたA。
毎日ひとりぼっちの家で私たちを待ち続け、歩けなくなってからも一生懸命に出迎えてくれたA。
我が家にやってきたことがAにとって幸せだったかはわからないけれど、私にとって、Aの存在はとてもとても大きなものだった。
虹の橋、という有名な言葉がある。
元々はアメリカで広まった詩らしい。
簡単にいうと、死んでしまったペットの魂が行く先のこと。
虹の橋のたもとには草原が広がっていて、ペットは飼い主がやってくるのをずっと待っている。
そして飼い主が亡くなると虹の橋の前で再び彼らは出会い、再会の喜びを噛みしめながら、幸せな気持ちで一緒に虹の橋を渡って天国へ行く。たしかそんな感じ。
私は冷たくなっていくAを前にボロボロに泣きながら、彼女は虹の橋へいったのかなあと考えた。
緑色の草原に青い空、きらきら輝く虹の橋のたもとで、元気いっぱいに走るAを想像した。
その綺麗な世界には、きっと母もいるんだろう。
まだ鬱病になる前の頃のように、母は楽しそうな顔でにっこりと笑い、Aに向かって両手を広げているはずだ。
ずっとずっと会えなくてさみしかっただろうAは、大喜びで母に駆け寄る。
再会したふたりが幸せそうに過ごす姿を思い浮かべると涙が止まらなくなった。
せめてその世界では、ふたりが元気で、幸せであってほしいと強く思った。