ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

志望動機もなく突き進んだ就職活動が見事に詰んでメンタルがやられたときのこと

このブログでは主に過去の出来事を書いているが、現時点の私はそろそろ5年目に入ろうとするOL(というかふつうの会社員)だ。

入社間もない頃は目の前のすべてが新鮮でわからないことだらけ、毎日あたふた過ごしていた。今だってしょうもないミスをしたり自分の至らなさに落ち込んだりすることはもちろんある。

 

が!!

 

業務に慣れ、同じ職種の先輩たちの姿を俯瞰で見られるようになってくると、段々考えも変わってくる。

この職場にこれから先も勤め続けることが正解なのか。職種を変えたほうが良いのでは?もっと違う環境に移ったほうが良いんじゃないか?などなど。

そんなこんなで転職という選択肢がちらつく今日この頃、初心にかえって新卒時代の就職活動がいかにしんどかったか振り返ってみようと思う。

あんな思いをもう一度してまで本当に転職したいか?と考え直すきっかけにしたい。

 

◇希望条件

 

私は文系の学生で、褒められた話ではないが、正直立派な志望動機なんてひとつもなかった。

希望条件はこんな感じ。

 

・年間休日120日以上

・完全週休二日制、土日祝休み

・有給休暇取得率が高い

・残業が少ない

・実家から通いやすい(通勤時間一時間半以内)

・福利厚生が充実している

・正社員、上場企業(安定してそうだから)

・一般職(転勤がないから)

・できれば事務職(休みやすそうだから)

・できれば制服なし(着替えが面倒だから)

 

私が重視していたのは清々しいほど待遇のみ!

業界とか業種とかそういったことはまったく興味もなかった。

せいぜい、インフラに関わる系だと志望動機が喋りやすいかな~程度の感覚だった。

改めて文字にするとだいぶひどい。まあ、皆こんなもんなのかな……

 

大学時代主に家にこもって過ごしていた私だが、就活解禁頃からライブやイベントなどに足を運ぶようになっていた。

ライブは土日の開催が多い。また、遠征することも考えると有給も自由に取れたほうがいい。そして社会人の友人の話を聞いていると、どうやら総合職より一般職のほうがプライベートの融通が利くようだ……という具合に、当時の私にとってはライブへいくことが最優先だった。

プライベート重視で就職先を選ぶことが間違っているとは思わない。しかし、私の場合はプライベートのみで就職先を選ぼうとしたことが良くなかった。

 

◇数撃ちゃ当たる?

 

私の年は就活解禁が大学三年の12月だった。

一度だけ合同説明会なるものに参加したが、人は多いわブースも多いわ、特にお目当てもなく行ってしまったせいでただ人混みに酔って終わった。

私は深く考えず、希望条件を満たす会社に片っ端からエントリーした。

金融、不動産、建設、食品、メーカー、商社、IT……など、業界も多種多様。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる戦法だった。

いわゆる業界研究や企業研究も特にせず、とりあえず企業のHPに目を通し、志望動機は社会貢献云々でどの企業も貫き通した。めちゃくちゃである。

 

状況は思ったよりも深刻だった。数撃ちゃ当たる戦法のはずが、まず書類選考に通らない。仮に通っても、一次選考で落とされる。

何の志望動機も軸もなく進もうとした私の就活は、見事に難航したのだった。

 

考えてみれば当然だ。

ネットで探したそれらしい志望動機をそれらしく語ったところで、そんな薄っぺらい理屈は簡単に見抜かれてしまう。

「入ってからやりたいことも御社への興味も一切ないですけどぉ、休みが多くて仕事楽そうなんでぇ、入りたいなって思いましたぁ」と、ここまで赤裸々に語りはしないが、面接官からしたらそんな私の魂胆は見え見えだったことだろう。

 

◇メンタル崩壊の道のり

 

今思うとどう考えても自分の進め方がまずかっただけだが、連日届くお祈りメールと、何故か私以上に私の就活に対して神経を尖らせる父親の存在、意識高い系の友人たちの会話といった諸々に囲まれ、私のメンタルは徐々に疲弊していった。

 

当時、誰にも見えない場所で細々と綴っていたつぶやきが残っていたので、一部を抜粋しつつ振り返っていこうと思う。

 

【大学三年1月(就活開始から1ヶ月後)】

就活で一番ストレスなのが父親。「大企業じゃなきゃだめだ!ちゃんとやってるのか!どこも受からなかったらどうするんだ!このままじゃどこも受からないぞ!そんなことを言って取ってもらえるとでも思ってるのか!俺は面接もしてるんだ!俺は全部分かるんだ!おまえはだめだ!そんなんじゃ落ちるぞ!」エンドレスリピートね。ストレス溜まる。ああいう暗示が一番強いって私知ってる。ああいう暗示程度で揺らぐ私もどうかと思うけど

就活自体というより、理不尽な言動をぶつける父に対する怒りに駆られていた時期。

しかし就活開始1ヶ月で大企業から内定が出て当然と信じている父こそどうかと思う。

 

【大学三年3月(就活開始から3ヶ月後)】

一個しかなかったのに。二次面接まで進んだとこ。一個しかなかったのに。だめじゃん。え。どうしよう。もう手駒ないじゃん。え。どうしよ。落ちた。面接上手くいったと思ったのに。どうしようどうしよう。落ちちゃった。どうしよう。もう後ないじゃん

はじめて二次面接に進んだのは金融業界だった。

一列に並んで順番に答えていくグループ面接で、ほかの就活生よりも上手いこと答えたと何故か自信満々で何なら内定もらえるんじゃないかと考えていた私はかなり落ち込んだ。

 

周りの友人のなかには徐々に内定を獲得する強者もちらほら。

焦りがありつつ、「まあ、もうすぐ終わるっしょ」とどこか軽く考えていた頃。

 

【大学四年4月(就活開始から4ヶ月後)】

つらい。誰もわかってくれない。優しくしてほしいとまでは言わないからそっとしておいてほしい。どこからもいなくなりたい。誰も私を見ないで。うそ。みてほしい。わかってほしい。私のこともっと知ってほしい。分かって認めてほしい。誰か。誰か。誰か!!!!

決めた。心入れ替える。普通に規則正しい生活する。

段々肩身が狭くなってくる。

就職氷河期からかなり回復したね、と評される年だったので比較的スムーズに内定を獲得する就活生が多く、そんな記事を見た父はますます青筋を立てて……という日々。

 

この頃はまだ昼夜逆転気味の生活を送っており、そろそろまずいぞ?と気づき早寝早起きを心がける、断酒、就活自体を見直す、といった改善策がようやく取られる。

 

【大学四年5月(就活開始から5ヶ月後)】

凄く心が荒んでる。たぶんきっとみんなに呆れられてる。内定がない。父親はいつも就活のこと問い詰めてなんで決まらないんだ早く決めろって言う。やめてほしい。私だってつらい。苦しい。泣きたい。もう全部やめたい。放っておいてほしい。一日中ずっと苛々ピリピリしてる。もうやだ。

なんでもないふりしてるけど本当はつらい。いつでも私のこと心配してくれて話聞いてくれる人がほしい。さみしい。つらい。くるしい。やめたい。しにたい。しにたい。しにたい。もうやだ。どうすればいいのか、どうしたらよかったのか、どうしたら楽になれるのか、ひとつもわからない。内定の一個もとれない。無能。ばか。ふらふら遊んでるだけの屑学生。絶望。ばかみたい。勘違い。思い込み。ばかだ。ばかだ。しんでしまいたい。楽になりたい。たすけて。楽にして。おかあさん。あいたい。たすけて。たすけて。たすけて。

5月22日、今日も私は無い内定。今日も私は就活生。いつも私は就活生。仕事をください。お願いします。

「死にたい」という言葉が現れるようになる。

内定を貰うどころか、面接を通過する、書類選考を通過する、といった成功体験が極端に少なく、どんどん自己嫌悪が加速する。

 

ちなみにこの頃はじめて最終面接までこぎつけ、一時間みっちり話し込んだものの、祈られる。私の心がいよいよ折れる。

 

【大学四年6月(就活開始から6ヶ月後)】

内定をもらった。嬉しかった。凄く嬉しかった。起きたらそれは夢だった。泣きそうになった。もうやだ。

ばかみたい。他のみんなはちゃんと出来てるのに。なんで出来ないの。ばかみたい。就活で自殺なんて冗談だろと思ってたけど今なら気持が分かるよ。何十社からいらないって言われたらもう私は価値のない居る意味のない生きる価値のない人間なんだなって思うよ、そりゃ。多くの人が、出来てることが私には出来ないんだって。そう思うもの。あんなたくさんの人間が働いてるのに、なんで私は働けないんだろう。なんで。なんで。なんで。わかんない。何が悪いの。どうすればいいの。どうしたら楽になれるの。わからない。早く楽になりたい。

「自殺」というワードが出てくる。

メンヘラ期は中学時代をもって卒業したつもりだったが、全然卒業できていなかった。

毎日慣れないスーツを着て、初めての場所にいって、知らない人の視線に晒された末に「お前は要らない」と突きつけられる日々は想像以上につらかった。

 

そもそも就活は、働くためにしていることで。

そもそも働こうとするのは、これから生きていくためで。

つまり、生きようとしなければ、もう就活もしなくて良い。

死んでしまえば、もうこんな苦しい思いはしなくて良い。

 

自業自得な部分も多いとはいえ、追い詰められた私は本気でそう思っていた。

中学時代、自殺しようとしたときに「死にたい訳じゃない、逃げたいだけだ」と気づいたはずなのだが。

そして母が首を吊った際に、少し嫌なことがある度に「死にたい」と言って笑う友人に対して複雑な気持ちに駆られていたはずだったのだが。

 

今日も私は無い内定。いつになったら終わるんだろう?

明日も選考と説明会。今日行ったところはほんとに理想に近い働き方が出来る会社だったから、選考が9月までかかるとしても、あそこだけは最後まで受けたいと思ったよ。入れるといいなあ。

6月中旬、ある会社の説明会に行った。

「あー、こんな会社なら完全に条件クリアしてるし父親も文句を言わないんだろうな」と思いながらぼんやり先輩社員の話を聞いていた。

その頃は半ば条件のクリアを諦めかけていて、とにかく内定が欲しかったので、少しずつ条件外の企業にも応募しはじめた時期だった。

 

どうせこんな理想通りの会社に入れる訳がないという諦めのほうが大きく、また最終選考は秋になると聞いて「そんな長くやってらんねーよ!」と投げやりな気分でメモを取っていたことを今もよく覚えている。

 

長くなってしまったので、結局その理想の会社から内定をもらうまで就活を続けた話はまた次回。