ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

緊張しすぎたセンター試験と強制終了した大学受験の思い出

前回(中学・高校・大学全部受験したものの全部崖っぷちだったなという話)の続きで、大学受験が終了するまでの思い出話です。

 

センター試験

 

私は文系で、国立大学を志望していた。

志望校はセンター試験の比重が高かったのでとにかくセンター試験対策をメインに勉強をしていた。

要するに、私にとってはセンター試験がすべてだったのだ。

センター試験にさえ成功すればとっとと受験を終わらせられる。

失敗する訳にはいかない。絶対高得点を取らなければならない。センター試験に失敗したら終わる。そんな気持ちだった。

 

私は中学受験でも、高校受験でも、そこそこ緊張はしたものの試験当日は比較的リラックスできるタイプだった。

どちらかといえば本番に強いほうだと考えていた。

きっとセンター試験もなんやかんや当日になれば平気だろうとどこか気楽に思っていた。

 

しかし、予想は裏切られた。

 

当日、朝5時に起床した私は朝からカレーを食べた。

試験前日に、母が験担ぎでカツカレーを作ってくれたのでその残りをがつがつ貪った。

更に朝っぱらから唐揚げも食べた。

今思うと完全にド緊張して過食を発動していただけだなと思う。

 

途中、友人と合流して一緒に会場へ向かった。そこまでは良かった。

問題は着席したときだった。

私は前代未聞の症状に見舞われた。

緊張しすぎてまったく首が動かなくなったのだ。

何故首だったのかはよくわからない。

とにかく、座った状態から横を向くことも下を向くこともできなくなってしまった。

無理に体を動かそうとして、両手がぶるぶる痙攣していることに気がついた。

 

私はその頃、メンヘラも無事卒業してそこそこ普通の高校生活を送ったところだった。

受験勉強は大の苦手で現実逃避に走りまくっていたものの、それなりに勉強だってした。

自分は本番には強いと信じ切っていた。

朝だって一緒に来た友人が「緊張するね」と怯えているので、「大丈夫だって」と励ましたくらいだ。

それが、どうして?

 

混乱と緊張のなか試験が始まった。

頭は真っ白である。

動かない首を無理矢理動かしてどうにか下を向く。

変な動きのせいでカンニングしていると思われたらどうしようと怖くなった。

全然問題の内容が頭に入ってこない。

時間はどんどん進む。どうしよう。どうしよう。

完全にパニックだった。

 

人生のなかで、あんな状態になったのはセンター試験のあの瞬間だけかもしれない。

そのくらい緊張した。

最後のリスニングを終えたときにはぐったりと疲れ切っていた。

帰りの電車で気持ち悪くなり、どうしても吐き気が抑えきれなくなって途中下車し、トイレで吐き続けたことを覚えている。

だがまだセンター試験は終わっていない。

二日目が残っている。

私はふらふらする体をどうにか引きずって帰宅した。

 

翌日も散々だった。

初日のようにパニック状態にはならなかったものの、全然問題が解けない。

今まで勉強したのは何だったのか?何故あれほど時間があったのに自分の苦手分野を徹底的に復習しなかったのか?後悔ばかりがぐるぐる巡る。

数学は完全にヤケクソだった。

 

こうして私のセンター試験は終わった。

点数的にも終わった。

 

センター試験さえ成功すれば……」と追い込み過ぎたのが原因だったかなと思う。

しかし、あれほど私を苦しめ続けたセンター試験が2019年度をもって廃止されると思うと感慨深い。

 

◇卒業式の憂鬱

 

私はかなり追い詰められていた。

私立も三校ほど受けたが、合格発表の度にメンタルがずたぼろになった。

どうにか滑り止めとして受けたうちの一校に合格し、多少心が落ち着いたものの、「センター試験に失敗した」という事実が頭に重くのしかかっていた。

 

母は落ち込む私に「どこに通ったって良いよ」「本当に大変だったら受けなくても良いよ」「浪人したって構わないんだし」と無理してたくさん言葉をかけてくれたが、あまり心には響かなかった。

むしろ私のことは放っておいてくれていいからそんなん言うくらいならまず自分の鬱病を治して!と内心苛々していた。

完全に心が荒んでいた時期だった。

 

迫り来る卒業式も、私の心を憂鬱にした。

3月上旬というのは微妙な時期だ。

私立志望の人はほぼほぼ試験が終了しているだろうし、同じ国立志望の人だってセンター試験で良い結果を出していればなんとなく先が見えているはずだ。

卒業してしまうことに寂しさもあるけれど、進路が確定し受験を終えた同級生と会話するのがしんどいなあという気持ちが大きかった。

 

結局、できるだけ自分の話はせず、人の受験話もなるべく聞かないようにして、逃げるように帰った。

卒業式が終わったときにはこの上なくほっとしたものだった。

 

案の定、センター試験の比重の高い国立前期日程は不合格。

わかっていた結果でも落ち込んだ。

残されたのは、センター試験の比重が低く、二次試験の比重が高い国立後期日程のみ。

そこからは完全に現実逃避の日々だった。

無理矢理過去問に向かうものの、全然できるようになっている実感はなかった。

頭を締めるのは不安と緊張と自己嫌悪ばかり。

 

二次試験までの日にちを指折り数えた。

早く終わって欲しい。

何なら試験がなくなればいい。

むしろサボってしまおうか?

別に今合格している私立大学だっていいじゃないか。

受けたってきっとまた落ちるだけだし。

いや、でもそんなんじゃ国立大学を目指した意味がない。

やっぱり、試験自体がなくなるのが一番だ。

例えば台風が来るとか……自然災害とか……隕石が落ちてくるとか……

 

不穏な妄想をたくさんした。

毎日毎日試験がなくなるように祈り続けて、ろくに集中できないまま惰性で勉強を続けた。

 

◇強制終了

 

恐ろしいことに、私の願いは叶ってしまった。

国立後期日程の二次試験の直前、2011年3月11日。

 

その日私は自室の机に向かって最後の追い込みをしていた。

ここまで来たらもう勉強するしかない。

そう思って集中していたとき、床が上下に揺れた。

聞いたことのない音がした。

 

私は揺れがおさまるまで待って、慌てて一階に降りた。

愛犬のAがぎゃんぎゃん吠えるのを母がなだめている。

冷蔵庫が止まっていた。停電している。

何が起こっているのか。どうしよう。

ばたばたしているとまた揺れた。何度も。

懐中電灯やら非常用の食料やらを用意した。

 

何故か途中で母が「Aの散歩をしてくる」といって外に出た。

今思うと物凄く危ない。

母はあの危険性をわかっていたのだろうか?

わかっていて、いっそ地震によって死んでしまいたいと思っていたのかな。

昔から母は「災害で死にたい」と話していた。

鬱病になるよりもずっと前から、口癖のように言っていた。

私はひとりぼっちの家で、時々来る地震にビビりながら母とAの帰りを待った。

もはや勉強どころではない。

無事に帰宅した母は「外だとあんまり揺れてる感じがしなかった」と暢気に言っていた。

 

数日後、志望する大学から試験に関するお知らせが発表された。

震災の影響を鑑みて、後期日程の二次試験は中止。

合否の判断はセンター試験の結果のみで行われることになった。

もちろん、センター試験に大失敗した私は不合格。

こうして私の大学受験は、最後の試験を受けることなく終了したのだった。

 

不完全燃焼だったけれど、浪人してまた一から受験勉強をする気力は残っていなかった。

私は滑り止めで受けた私立大学へ入学することに決めた。

 

思わぬタイミングで受験勉強から解放され、私はどこかぼんやりとした思いだった。

テレビをつけると震災の報道が延々と流れている。

増え続ける死傷者数に、見つからない家族を探し続ける人々の話。

母もぼうっとそうしたニュースを見ていた。

世の中がこんなに大変なときに言えることではないけれど、大学受験に失敗したのは結構しんどいなあと考えながら、大学生活に思いを馳せた。

その一か月後、母が首を吊ってしまうなんて、自分のことで頭がいっぱいだったあのときは考えもしなかった。

 

受験勉強は私にとって凄まじい苦行だったが、母にとってもそうだったんだろう。

物凄くストレスをためていた私は、母に対してめちゃくちゃひどい態度を取っていたと思う。

「受験生なんだから!」を盾にして、全然まわりが見えていなかった。

あの時期をやり直したくもないが、もしやり直せるのであれば、もっとやりようがあったかもしれない。

志望校のランクを下げるとか、他の方法の受験をするとか、もっと違うタイプの予備校に通うとか。

変に意固地になって友人にも受験の悩みを打ち明けないのもよくなかった。

それによって私のストレスは全部母にいってしまった訳で。

 

私にとって大学受験は、勉強の仕方から試験のいきさつ、母や友人との関係などなど、すべてを含めて総合的に後悔しかない。

そんな苦い思い出です。