ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

私にとっての幸せは、どうやら一般的な幸せとは違うらしいと悟った初めての結婚式の話

◇友人の結婚式

 

先日、友人の結婚式に出席した。

私はあまり人付き合いが得意ではなく友人も多いほうではないので、今回が人生初の結婚式だった。

マナーや暗黙の了解といったものがわからずあれこれ調べたり、不安でお腹が痛くなったりしたが、いざ当日を迎えてしまえばただただ和やかな時間だった。

私は新婦の友人として参加し、特に何の役割もなく、美味しいご飯をいただき友人たちと懐かしい昔話をしているだけで良かったため気楽だったというのもある。

 

挙式と披露宴に出席したので「誓いますか?」「誓います」だとか、ドラマなどで見たことのある場面が割とそのまま再現されていて驚いた。

女性の出席者の皆様の色とりどりのドレスや着物は見ているだけでも華やかで、会場はきらきらしていて、ご飯も豪華。

非日常な空間がぎゅっと凝縮されているような感じ。

 

そして何より、短くはない時間を共にした友人が綺麗な装いで花嫁として立つ姿を眺めるのは感慨深いものがあった。

穏やかそうな新郎の隣で緊張を滲ませながらも弾けるような笑顔を浮かべる友人は、とても幸せそうに見えた。

親族の方も、職場の方も、ほかの友人の方も皆、幸せそうなふたりをにこにこと見つめ、時に目元を押さえ、心から祝福の拍手を送っていた。

 

私も、その場でいるだけであたたかな気持ちになり、ああ、こういうのを幸せと呼ぶんだろうなと思った。

穏やかな時間を過ごし、幸せを分けてもらったような気分だった。

 

でもその一方、どこか俯瞰で見てしまう自分もいた。

 

◇妄想

 

友人を祝福する気持ちに嘘はない。

とても幸せそうだ、と思ったのも本当だし、文句をつけるつもりもない。

 

ただ、私は頭の片隅で妄想してしまうのだった。

 

例えばベールダウンのセレモニーを見たとき。

式場に足を踏み入れた友人はバージンロードの入り口で立ち止まり、お母様と向かい合った。

お母様はゆったりと厳かな動きでベールに触れ、そのままそっとベールを顔の前に下ろした。

緊張しているはずの友人は、ベール越しににっこり笑ってお母様と数秒、目を合わせていた。

なんだかそれはとてつもなく神聖な儀式に見えた。

 

或いは、「花嫁からの手紙」の時間。

時折言葉を詰まらせながら、幼い頃からの思い出をひとつひとつ語り、感謝の言葉を告げる友人は人としてひとつ大きな階段を上ったように映った。

お母様は、お父様の隣に静かに佇み、じっと友人の姿を見つめていた。

生まれてから○年間、育ててくれてありがとう。彼女がそう言ったとき、お母様は堪えきれず溢れる涙を何度も拭いながら頷いていた。

 

気づいたら私も泣いていた。

周りの人もたくさん泣いていた。

それはとても感動的な場面で、幸せなワンシーンで、でもたぶん私は全然違う理由で泣いていた。

 

全然そんな予定はないが、もしも仮に自分が結婚することになって、式を挙げたとしても、私の場合はこんな場を作ることはできないのだと思った。

 

私は母にベールダウンしてもらうことはできない。

お祝いの場で感謝の気持ちを伝えることもできない。

いつかウエディングドレスを選ぶときは呼んでね、と言われていたのに、一緒に選ぶこともドレス姿を見せることも、もうできない。

 

お祝いの場に相応しくない、そういうことを考えてしまった。

 

◇幸せな未来って?

 

私は幸せになりたいと思っている。

でも、以前「久しぶりに紙の本を買った、自分の気持ちを大事にしようと思った」という記事で書いたように、自分が幸せを感じるのは凄く小さなことで、例えば結婚して新しい家庭を持つことだとか、仕事をバリバリすることだとか、一般的に「幸せ」と呼ばれるイベントを成し遂げることで幸せが訪れるのかと問われてもピンと来ない。

 

先日の友人の姿を目の当たりにして、私はもし結婚して式をしたりしても、幸せを感じられるかわからないな、ということに改めて気づいてしまった。

 

友人の結婚式は、私の想像する「幸せな結婚」のすべてが詰め込まれていた。

羨ましかったんだと思う。

周囲の人々や両親から祝福を受けて、嬉しそうに微笑む友人のように、たぶん私はなれない。

 

もし私が結婚して披露宴を行ったとしても、そこに母はいない。

「結婚」によって、母の死によって失われた心の一部を取り戻せる訳ではなく、むしろ母の不在が余計意識されてしまい、苦しくなるだけかもしれない。

というようなことをずっと考えていた。

 

例えば職場で、「早く結婚したほうがいいよ!」とよく言われる。

例えば親戚から、「そろそろそういう話はないの?」と聞かれる。

 

一時期、そういった催促が苦しくて必死に婚活を試みた時期があったけれど、結局いろいろあって、嫌な目にもあったりして、もういいやと投げやりになってやめてしまった。

別にいいし、と思いながら、どこか心の底でもやもやしている部分があった。

やっぱり結婚したほうがいいのかな、結婚すれば幸せになれるのかな、と。

 

めちゃくちゃひねくれた考えかもしれないが、私は幸せそうな友人の結婚を見て、そこにこだわる必要はないと逆に腑に落ちたのだった。

私は私の思う幸せを得られるように、とにかく今は毎日生き延びることができればいいなと思う。