はじめての内々定で散々悩んだ末に結局就活を続行し9ヶ月粘った一般職志望の結末
一般職志望だった文系私大出身の私が新卒で就活をしていたときの思い出、後編です。
前回(志望動機もなく突き進んだ就職活動が見事に詰んでメンタルがやられたときのこと)、就活でとにかくつらかったことばかりを書いてしまったので、もう少し具体的なことを書こうと思う。
就活開始から半年が経ち、既に数十社以上の面接をくぐり抜け(そして落ちて)きた私は、初期に比べると少しずつ違う視点で説明会に臨むようになっていた。
ひとつも内定がない状態でメンタルがどん底だった割に、私はかなり上から目線でいろんな会社を観察していた(それも内定が出ない原因のひとつだったかもしれない……)。
会社によって、雰囲気や担当者の対応は様々だった。
◇個人的なチェックポイント
私はメンヘラ期に嘔吐癖がついたせいで、緊張したりストレスを感じたりすると未だに吐き気に襲われる。実際に吐かないまでも、トイレの位置を常に把握していたい。
だから毎回説明会の開始時間よりかなり早めに到着して、トイレに行くことにしていた。
もちろん貸し会議室的な場所で開催されていることもあるが、募集している会社で説明会が行われることも多い。
もし選考に進むとしたら、試験や面接のときにテンパらないようトイレの位置は知っていたいし、万が一内定を貰って働くことになったとして、トイレとお友達になりがちな私にとってその空間の質は結構重要なポイントだった。
また、トイレにいきたい!という要望を伝えたときの反応は会社によって全然違った。
親切なところは担当の方がトイレの前まで案内してくれたり、そこまでとはいかないまでも丁寧に説明してくれたりする。
説明会の参加者が多いところは結構雑に対応される。
また、担当者の姿がなく、「お手洗いはこちら」という貼り紙のみの会社もある。
担当者の姿もなく、案内図もなく、うろついてもトイレが見当たらない会社もあった。
そしてトイレにいくと、その会社で働く社員の方と鉢合わせることもある。
にこにこ微笑んで会釈してくれる人もいれば、めちゃくちゃ暗い顔でガン無視の人もいる。よくわからない社内の噂話に花を咲かせる「ザ・お局様!」みたいな人もいる。
そういった裏側を覗くことができるのは割と楽しかった。
もうひとつ重視していたのは、比較的どの会社でも行われる「先輩社員のお話」だ。
あまりに専門用語ばかりで神々しい内容を語られてもピンとこない。
コミュ力がカンストしていそうなきらっきらのパリピみたいな先輩を見ても気が引ける。
就活中は不安だったけど入社したら優しい先輩ばっかりで~とか言われても疑わしい。
入社してからのイメージができるかどうか、詐欺みたいに良いことばかりではなくマイナス面も率直に話してくれるかどうか、もし同じ職場になったとして普通に会話ができそうかどうか。そんなところを見ていた。
ある会社の説明会が特に衝撃的で未だに覚えている。
その説明会には、社内でかなり上の立場であろう年配の方も同席していた。人事担当の方も雰囲気がよく、説明はとてもわかりやすかった。
いざ先輩社員のお話コーナーが始まると、入社二年目の先輩社員が現れた。
おかしい、と思ったのは彼が話し始めてからだ。
私は前から二列目の席だったので、先輩社員の様子がよく見えた。
彼は背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いて話していたが、その両足はガタガタと震えていたのだ。
目を凝らすと、お腹のあたりに添えた両手もぶるぶる痙攣しているし、額からは汗が止まることなく流れ続けている。
グループ面接など、選考中にほかの就活生がド緊張して震える様子は見たことがあるが、それとは比べものにならないくらい、異常な様子だった。
本当のところはわからないけれど、たぶん、彼は絶対に失敗できないと追い詰められていたんじゃないかと思う。
就活生の前で話すだけでこんなに緊張する会社なんて、私には到底頑張れそうもない。
社会の闇を垣間見たような気分だった。
◇はじめての内々定
就活開始から7ヶ月後、はじめて内々定を貰った。
仮にα社とする。
その頃に就活を続行しているのは少数派で、ようやく、ようやく貰えた!という感覚だった。
しかし、大喜びできる内々定でもなかった。
私が志望していたのは事務職で、事務職の選考を進んでいったはずなのだが、α社から内々定をもらったのはSE職だった。
事務職は定員に達している。しかし内々定は出したい。そこで今はSE職が少ない。せっかくだからSE職はどうか?SE職なら内々定を出さんこともない。最終的にはそちらの判断に委ねよう……そんな感じ。
正直、私に務まるとは思えなかった。
また丁寧に説明はしてくれたものの、本来希望していた職種以外の職種なら内々定を出してやるというα社の態度に不信感が募った。
しかし、就活を始めてから既に7ヶ月が経過していた。
毎日父親から何故内定が取れないんだと詰られ、バイトや遊びを満喫する友人の姿に引け目を感じ、そして私はもう疲れ切っていた。
自分が我儘さえ言わなければこの辛い日々は終わる。もう頑張らなくて良い。スーツ生活から解放される。残りの学生生活を自由に過ごせる。
それはとてつもなく魅力的な選択肢だった。
希望する職種と違うだけ。
SE職だって、やってみたら新しい道が拓けるかもしれない。自分で自分の可能性を狭める必要もない。それに希望職種と違うという以外は、まあ、大体の条件は希望通りだ。
そんな訳で、私はα社に承諾の意を伝え、SE職で正式に内定を貰ったのであった。
◇就活続行
内定を貰った。もう就活しなくて良い。
とてつもなく気が軽くなった。
……はずだったのだが。
どうしても不安が拭えなかった。
α社でやっていける気がしない。でももう就活したくない。
延々といったりきたりを繰り返し、散々悩み、私は就活を続行することにした。
残念ながら、まだまだ頑張るぞ!というポジティブな感じではない。
その時点でまだ何社も選考中の会社があったので、せめてそれらすべての結果が出てから決めようと思ったのだった。
気力はほとんど残っていなかったが、夏になると募集自体もだいぶ少なくなり時間の余裕もできてきたので、ほかの説明会に参加したり、新しく履歴書を書いたりもした。
就活開始から8ヶ月後、お盆を過ぎた頃だったと思う。
ある会社(仮にβ社とする)の最終面接を受けることになった。
β社は6月に説明会を受けた際、あ~理想の会社だな~とぼんやり思ったところだった。
偉い人がふたり待ち受ける一室で、志望動機や自分の長所といった定番の質問をさらっと軽く受けた後、次は何の質問が来るかと待ち受ける私に投げかけられたのは予想外の質問だった。
「あなたの作文には驚きました。どうしてこのような内容を書かれたんですか?」と、口を開いたのは面接官のふたりの内、より立場が上の方だった。
選考の過程で筆記試験があった。
会社独自の試験と作文。
作文はたしか一時間くらい与えられて「あなたは何故働くか?」みたいな内容だった。
正直、突飛なことを書いた記憶はない。
何か地雷を踏んでしまったんだろうかと内心めちゃくちゃテンパった。
呆気に取られる私に向かって、面接官は「悪い意味ではなく、こういう考えを書いた方はあなたがはじめてだったので、個人的に気になったんですよ」と優しく笑った。
ちなみに私の作文は、今まで自分でも気づかないところでたくさん社会のお世話になって生きてこられたんだから今度は自分が働いて税金を納め社会に貢献しないといけない、だから働く!的な内容をもっとそれらしく書いたものだった。
完全にノーマークだった質問をされて、私は深く考えることもなく思ったことをそのまま話した。
母が亡くなったとき、何もできない自分に気づいた。当たり前の生活と思って受け取っていたことの多くが当たり前ではないと知った。
母の死は身近な話だが、例えば道路や学校といったことでも同じだろう。自分が意識しないところで、当たり前のように受け取ってきたものはたくさんあると考えるようになった。
だから私は働いて、それらへのお返しをしなければならない。と、そんな感じ。
面接官は真剣な顔つきで話を聞いた後、「なるほど。素晴らしい作文でした」と言った。
上手く言えないのだが、私はこの瞬間、とてつもなく感動した。
この人は私の書いた文章を読み込んでくれて、私個人の考えを理解しようとしてくれた。目を見て話を聞いて、評価をしてくれた(ように感じた)。
数ヶ月間の就活で散々自尊心を削られ続けた私にとって、あのときの面接官とのやりとりは、なんだか自分という人間が尊重されているみたいで凄く嬉しかったのだった。
その後の質疑は上手いこと答えられずボロボロだったが、久しぶりに清々しい気分だった。
◇就活終了!
就活とはあまり関係ないが、β社の最終面接を終えて少ししてから、愛犬のAが亡くなった。
愛犬の死についての記事(愛犬からのプレゼント?Aの死後、立て続けに……)にも書いたように、しばらくは泣いてばかりで就活に向かう気にもなれずどん底の気分だった。
しかし、9月になって、β社の人事担当者から電話が鳴った。
内々定の連絡だった。
みんしゅう(就活の口コミサイト)を見ても連絡が来たという書き込みがなく、もう駄目かなと思っていたところだった。
就活開始から9ヶ月。私はβ社への入社を決めた。
希望通りの会社からの連絡ももらい、めでたく就活終了!これですべて問題なし!……という訳にもいかない。
最初にSE職で内定をもらったα社への内定辞退というミッションが残っている。
私はこの内定辞退に対して並々ならぬ恐怖心を抱いていた。
ネットで調べると、直接会社まで謝りに行かなければならないだとか、コーヒーをかけられるだとか、いろいろ書いてあった。怖すぎる。
ビビりまくりながら、とりあえず電話をした。
幸いなことにα社の人事担当の方は優しかった。
何なら「沖さんなら大丈夫でしょうから、頑張ってくださいね」と励ましてくれた。
このとき初めて力が抜けた。
念のため内定辞退のお詫び状を出して、そして私は今度こそ就活から解放されたのだった。
やはり一般職というのは枠が小さい。
現在一般職に就いている立場からすると、あんな思いをしてまで一般職にこだわることもなかったな、という気がする。
最近だと三井住友銀行が総合職と一般職を統合すると発表して話題になっていたし、RPA化(ロボットによる業務の自動化)の話もよく耳にする。
完全になくなるということもないだろうが、将来有望とは到底言い難い職種のように感じる。
まあ、その件についてはまたいつか書きたい。
最後に、私が受けた会社数はこちら。
祈られ過ぎてほんとに頭がおかしくなるかと思った。
エントリー…360社
説明会・GD参加…90社
書類送付のみ…70社
一次選考まで…32社
二次選考まで…10社
最終面接まで…4社
内定…2社
就活をしていて良かったことは、いろんな業界・業種の会社をたくさん見て回れたこと。
本当に会社によって千差万別だし、その上で当時の自分が納得できる道を進むことができたのでそういう意味では後悔はない。
そんな感じです。