ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

愛犬からのプレゼント?Aの死後、立て続けに……

小学生の頃から一緒に過ごした愛犬のAは、私の就活の最中、真夏の朝亡くなってしまった。

 

前回(そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ)の続きとして、今回はAの死後のことを書こうと思います。

 

◇ペットの弔い方

 

Aの体はどんどん硬く、冷たくなっていく。

目が開いたまま動かなくなったAの前で、私は途方に暮れた。

いつかは訪れるとわかっていたはずだった。むしろ自分が働き出す前にその時を迎えたいとすら願っていた。しかし、実際に死を目の当たりにすると頭が真っ白になってしまったのだった。

 

意外に冷静だったのは父。

彼はAが死んだら、ということを具体的に調べ考えていたらしい。ペットの葬儀屋に連絡をとり、あらゆる段取りを進めてくれた。

 

ペットをどう弔うか?

お恥ずかしいことに私はまるで考えてなかった。どの方法を選びたいか、Aの遺体を前にした父から聞かれて初めてまともに考えた。

 

ペットの弔い方はいくつかある。

何となく庭に埋める土葬のイメージがあったのだが、自治体や民間の業者さんによる火葬も一般的になっているらしい。

 

さらに火葬の中でも大きく三種類。

まずは立会火葬。火葬場に立ち会い個別に火葬した後、骨を拾う。人間の火葬と同じ感じ。

二つ目は個別火葬。遺体を引き取って貰い、飼い主は立ち会わず業者の方に個別に火葬してもらう方法。

三つ目は合同火葬。個別火葬の合同版で、他の遺体と一緒に火葬してもらうので少しリーズナブルになる。

あくまで私の地元のペット葬儀業者さんが設定していたコースなので、地域や業者さんによっては少しずつ違いがあるかもしれない。

 

私たちが選んだのは、火葬には立ち会わない個別火葬。

個別火葬にすれば立会とは違い日程調整の必要がなく、合同とは異なり返骨してもらえる。

金額も中間。

さらにオプションとして粉骨もお願いした。

メリットは骨壺のサイズが小さくなって家に置いておけること。もし希望するなら散骨も可能だということ。

ペット霊園を探すこともできたけれど、私はAがどこかへいってしまうのが嫌だった。

それなら家に居て欲しいと思った。

 

ただ、その粉骨の内容が、遺骨を専用の機械にかけて粉砕しパウダー状にすることだと聞いたときは複雑だった。

だって目の前にはAがいる。

体は動かないし冷たいけれど、ふわふわな毛並みはそのままだし、小さな肉球だっていつも通りの感触で、遠目に見れば眠っているだけみたいに見える。

「おやつだよ!」と行って体を揺すればいつもどおり舌を出して一生懸命起き上がろうとするんじゃないかと思えるくらい、AはAのままなのだ。

そんな彼女が機械にすり潰され原形も留めない粉にされてしまうなんて耐えられないと思った。

 

昔、動物の剥製を見ると妙にリアルでちょっと怖かった。

遺体の内蔵やら骨やらを取り出して生きていた頃の形を再現するなんて悪趣味だと勝手に思っていた。(もちろん学術的な意味合いがメインなので悪趣味も何もないのだろうが)

でも、Aが死んではじめて剥製っていいなと思った。

Aは死んでしまったが、Aの体は残っている。

何度も何度も撫でた体がそのまま残っている、相変わらず綺麗な毛並みだって残っている、それを燃やしてしまうのか?すべて消してしまうのか?そう思うと辛かったのだ。

 

◇喪失感

 

結局、Aは亡くなったその日のうちに火葬をしてもらい、粉骨も終え、小さな骨壺になって帰ってきた。

 

葬儀屋さんの指示に従い、棺代わりのダンボールに遺体を納めたときにはまだ眠っているようだったAは、一緒に入れたお布団やリード、首輪、大好きだったおやつと一緒に焼かれてしまった。

もうあの綺麗な茶色の毛も、ふわふわな白い毛も、ピンクの肉球も柔らかな耳も細い後ろ足も濡れた鼻も大きな目も白くなった睫毛も眉毛もない。見ることも触ることも不可能だ。

 

今朝まで息をして動いていたはずのAは、たった一日の間に、サラサラの粉に姿を変えてしまったのだった。

 

おかしな話だけれど、Aが死んでからはじめて死というものに向き合った気分だった。

 

母の自殺から三年が経っていたが、あのときは本当に突然のことで、しかも死の瞬間を目の当たりにした訳ではない。いきなり自ら命を絶ってしまった母の死へ向ける感情は複雑だった。

Aの場合、死の気配は感じていたし、間近で命が消えていく姿を看取ったので感覚がまるで違った。

なんだろう……陳腐な表現だが純粋に悲しかった。

死ってこういうものなんだ、と思った。

 

Aが元気だった頃、テレビを見るとき、ベッドで寝ているAを起こして隣に呼んで背中を撫でながらよくお喋りした。

ごはんを食べているとき、Aの気配がどこにもしなくて不安になって「A!Aちゃーん!」と呼ぶことがあった。

餌の時間が近づくと、私がトイレに立つだけでAが勘違いして「ごはん!ごはん!」と駆け寄ってくることがあった。

 

Aが死んだ後も、ふと気を抜くとAを呼んだり、Aがどこに隠れているか探してしまったりした。

いつもの癖で二回目の掃除をしようとして掃除機をかけると全然毛が増えていなくて、ああもう何度も掃除しなくていいんだと思った。

濃い色の服を着るとAの白い毛がまだたくさん残っていた。

いつもなら一生懸命コロコロで取り除こうとするそれを、どうしても捨てる気になれなかった。

 

ぼーっと座りながら、Aのぬくもりが恋しくて一人で泣いた。

死んでしまった母のことを思って泣く私にいつだって寄り添ってくれた、足が悪くなってからも後ろ足を引きずって懸命に私の元まで来てくれたAはもうどこにもいなかった。

いよいよ本当に一人になってしまったと思った。

 

◇立て続けに

 

しかし、泣いてばかりもいられない。

私は就活生だった。

 

当時は大学三年生の十二月に就活解禁だったのだが、四年生の夏の終わりになってもまだ出口が見えなかった。

私は百社以上に応募し毎日毎日スーツを着ていろんな企業の面接を受けたが、希望する企業の内定を未だに貰えていない状態。

既に八ヶ月が経っており、同じ大学の友人はほとんどが内定をもらい卒論に向けて動き出していた。

 

『沖様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます』の文面、いわゆるお祈りメールを受け取る度に「お前は社会に不要で何の価値もない人間だ」という事実を突きつけられているような気分になった。

父は毎日「何故内定が出ないんだ!もっと真面目にやれ!」と私を怒鳴った。

そんな中で、唯一私を否定せず、癒やしてくれていたAが死んでしまった。

私の精神はすり減ってボロボロで、もう何が正解かもわからなくなっていた。

 

しかし、Aが死んだ五日後から、立て続けに良いことが起こった。

私は現実逃避として就活の合間を縫って趣味に没頭しライブに行きまくっていた(だから父の目には私が就活もせずに遊び回っているように映ったのだろう)。

そのライブで、シークレットゲストとして私の大好きなアーティストが出演したのだ。

元々は母が大ファンで子どもの頃毎日のようにCDを聴かされていて、いつしか好きになっていた。

高校生になって、母がチケットを取ってくれて連れて行ってくれたのが、私にとって初めてのコンサートだった。そんな思い出深いアーティスト。

それもとても小さな会場だったのでとても距離が近く、まるで夢みたいな瞬間だった。

どん底だった私でも、久しぶりに心が沸き立つ感覚を味わうことができた。

 

その時期は物凄く多数の公演のチケットの先行販売(抽選)に申し込んでいた。

大好きなアーティストを間近でみることができた翌日、また別のイベントのチケットの当落発表があった。

ぶっちゃけて言うと「うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE LIVE 4th STAGE」というイベントだったのだがそれはもう凄まじい倍率だった。

が、私はまんまと当選したのである。

しかもめちゃくちゃ良い席。出演者さんの顔を普通に目視できる距離。

私は舞い上がった。宝くじに当たるよりも全然嬉しかった。こんな良いことばっかりあっていいの!?と浮かれまくった。

その他にもライブで推し曲が来たり、ラジオでメールが読まれたり、他にも立て続けに良いことが起こった。

 

さらに数日後、せっせと履歴書を書いていた私の元に一本の電話が来た。

「きっとこんな会社に入ったら私が思う理想の社会人生活できるんだろうな~まあ倍率高いし無理だな……」と思っていた会社の人事担当者さんだった。

 

Aが死んでから十日も経っていなかったと思う。

私は喉から手が出るほど欲しかった内定をようやく手に入れたのだった。

ちなみにそこが今の勤務先である。

 

Aの死を起点として、フィクションか!?というくらい突然流れが変わった感じだった。

八方塞がりだった私を見かねてAが最後にくれたプレゼントなのかなあ、と思う。

 

◇いつの日か

 

Aは大人になってもよく吠える子だったので、散歩中に他の犬とすれ違うとぎゃんぎゃん鳴いて大変だった。

すれ違う飼い主さんに申し訳ありませんと会釈して苦笑されるのが常だった。

 

Aが死んでからも何となく習慣は残っていて、就活を終えた私は時々一人で散歩に出掛けた。

するといつも苦笑してすれ違う飼い主さんたちが時々話し掛けてくれた。

私が一人で歩いているのを何度か見掛けて察したらしい。

みんな優しい言葉をかけてくれた。

連れている犬を撫でさせてくれた。

さみしくなったら家に遊びにおいでと言ってくれるご近所さんもいた。

 

私はずっとぎゃんぎゃん鳴くAが疎ましく思われているのではないか、ろくに躾もできない酷い飼い主だと思われているのではないか、とこっそり思っていたのでそんな風にやさしく声を掛けられてびっくりした。

なんとなく、飼い主同士って通じ合うものがあるのかもしれない。

今でもたまに近所の犬に会うと撫でさせてもらうことがある。ありがたいことだ。

 

ペットロスを癒やすのに一番の方法は新しいペットを飼うことだと聞く。

今は私も父も働いていて一日中不在にしてしまうのでA以上に寂しい思いをさせてしまうだけだし、なかなか難しいが、生きているうちにまたいつか犬を飼いたいなという気持ちはある。

 

Aが子犬の頃は私がビビってしまってあまり可愛いがれなかったので、その反省も活かして思い切り可愛がりたい。

大きくなったらAの話をいっぱい聞いてもらおう。

いつか、その子が虹の橋のたもとへ行ったとき、Aと会えるように。