私が「自死遺族の集い」や「分かち合いの会」への参加を躊躇ってしまういくつかの理由
今まで、母について誰かに伝えようと思うことはほとんどなかった。
普通にご飯を食べて、普通に働いて、普通に笑っているときも、常にとてつもなく大きな後ろめたさを抱えているような感覚、嘘の人生を生きているような居心地の悪さがあった。
昨年このブログを書き始め、Twitterで自死遺族アカウント(@shizuka_na_oki)を作ってから、母の思い出や自分が苦しかった時期を思い返してアウトプットするようになった。
自分が思うよりも「誰にも言ってはいけない」という意識が強かったようで、苦しさもあったが、ありのままを書き公開することでびっくりするほど心が軽くなった感じがする。
そうなってくると、実際に対面して話をすればもっと効果的と考えるのが当然だろう。
名称は様々だが、同じ境遇の方々で話をする「自死遺族の集い」や「分かち合いの会」といった場があちこちで設けられていることは知っているし、参加してみて良かったという感想もたくさん目にする。
しかし、私は未だに参加したことがない。
今のところはブログで満足してしまっているというのもあるが、その他に参加を躊躇う理由がいくつかあるので、今回はそれについて書こうと思う。
あくまで個人的な気持ちで、そういった会を否定したり批判したりという意図は一切ありません。
どちらかというと「参加したいな~でもこわいな~でも参加したいな~」という感じです。
◇自死した相手との関係性の違い
こんなことを言い出したらキリがないとは重々承知の上で書くが、自死した相手との関係性によって、遺族の感情や生き方は全然変わってくると思う。
例えば、私の場合は母。
19年一緒に暮らしてきた存在で、親で、自分にとって人生のなかで一番長い時間を共にした相手だ。
比較的仲の良い親子だったので思い出もたくさんあるし、たぶん、母の一番近くにいたのは私だったと思っている。
だが、同じ自死遺族といっても、それこそ数え切れないほどのパターンがあるはずだ。
私のように自分にとっての親が亡くなってしまった場合もあるだろうし、一緒に育ってきた兄弟姉妹、祖父母やいとこの場合もあるだろう。
手塩にかけて育てた自分にとっての子どもや孫を亡くした方もいるだろう。想いを交わし連れ添った配偶者を亡くしたという方ももちろんいるだろう。
厳密にいえば遺族という表現にはならないかもしれないが、婚約者や恋人、親しい友人や同僚が自死を選んだ場合だって想像を絶するような苦しさ・悲しさ・やりきれなさがあるのではと思う。
また、本人との関わり方によっても違いがあるだろう。
長い時間を共に過ごし本人の気持ちをたくさん聞いていた場合。
少し疎遠になってしまい、自死が青天の霹靂だった場合。
関係性が悪化して憎悪に近い感情を抱いていた場合。
それぞれ、苦しさの種類も、抱える感情の色も千差万別のはずだ。
関係性が違えば、一緒に過ごした時間も違うし、遺族としての感情だって全然違うんじゃないかと思う。
自分の話をすることで無意識に誰かを傷つけてしまったり、逆に自分が苦しく感じたりするのではと思ってしまうのだ。
◇境遇の違い
「境遇」という表現が正しいのか微妙だが、自死の原因によっても遺族の気持ちは全然違うと感じる。
母の場合は鬱病を患い以前から死にたいと口にしていた。
何故そこまで母が追い詰められていたのか、本当のところはわからない。
「そもそも母は私のせいで鬱病になり、私のせいで死んだのではないか、という話」という記事でも書いたようにその死の一因は自分にあったのではと考えることも多々ある。
しかし、自死に至る原因にはたくさんの種類がある。
例えばいじめ、過労といったもの。
原因が外的である意味ははっきりしているため(気づいてあげられなかった、もっと何かできたはずといった自責の念に駆られたり無力感に襲われるということはもちろんあるだろうが)、場合によってはその原因に立ち向かったり、裁判で法的な措置を求めたり、同じことが起こらぬよう積極的に活動したり、外に向かって働きかけることで苦しみに立ち向かうことができる場合もあるかもしれない。
あるいは、理由が一切わからないというパターンもあるだろう。
今まで元気そうに見えたのに。普通に話していたのに。
原因もまるでわからず、突然命を絶ってしまった場合、遺された者はどう心の折り合いをつければ良いのだろう。
恐らく、外に向けてというより自分自身の心の内に向かっていくことが主となるのではないかと思う。
また、自死の際のシチュエーションによっても大きな違いがあるだろう。
父は母の自死の第一発見者で、首を吊ってぶら下がっている母の体をおろし、心肺蘇生を行ったが既に手遅れだったという。
彼は八年近く経った今でも時々夜中に魘されて母の名前を泣きながら呼んでいることがある。
すべての処理が終わり、床に横たわった状態の母と対面した私には、本当の意味での父の気持ちはわからないし、当時の様子を詳細に聞く勇気もない。
初対面の人々が集まるなか、私は境遇の違う方々の話を平常心で聞ける気がしないのだ。
◇対面で話すことへの抵抗感
以前、一度だけ「自分も自死遺族だ」という女性に会ったことがある。
前回(はじめての内々定で散々悩んだ末に結局就活を続行し9ヶ月粘った一般職志望の結末)就活の思い出を書いたが、彼女とはそこで出会った。
ある会社の二次選考か何かで、グループディスカッションがあった。
ひとつのテーマであれこれ討論をした上で、最終的にグループとして結論を出して発表するという形だった。
同じグループの彼女とはたまたま帰りの方向が同じで、なんとなくそのまま一緒に駅に向かった。
お互いの就活の状況や情報を共有していると、ふとしたときに彼女は言った。
「母親が首吊り自殺してるんだよね、私」
場所は駅のホームだった。
呆気に取られる私に向かって、彼女は幼い頃に母親を自死で亡くしていること、その後父親が再婚し母親の違う妹たちがいることを語った。
私は急な告白に驚きながらも、まったく同じ理由で母親を亡くしたという彼女に共感を覚え、勇気を出して自分もそうだと告げたのだった。
電車が来るまでの短い時間だった。
結局、連絡先を交換することもなく電車に乗った。
彼女と別れた後、残ったのは何とも言えない感情だった。
幼少期に母親を亡くした彼女は、自嘲するように母親の話をしていた。
死に至る事情や死後の苦労を淀みなく語る彼女に対して、劣等感のような、何となく嫌な感情を覚える自分が嫌だった。
私は普通のときでも面と向かって自分のこと、特に自分がしんどいと感じることを話すのが苦手だ。
母の自死という同じ境遇の彼女に対して、私はほとんど自分の話を出来なかったし、したいとも思えなかった。
再婚して新しい家族と暮らしてきた彼女のほうがよっぽど苦労しただろうし、それに比べて自分は大して苦労していないなと思った。
今まで関係性や境遇の違いによって感情が違うと散々書いてきたが、逆に同じような立場の場合でも、それはそれで引け目に感じてしまう自分がいる。
拗らせすぎた自分が面倒くさい。
◇怖い
自分の気持ちを整理するつもりでいろいろ書いてみたが、結局のところ私は怖いだけだ。
自死遺族という立場が同じでも、一人一人経験してきたことは違うし、感じ方も苦しさの種類も違うからわかり合えない気がして怖い。
自分のことを話そうとしても引け目に思ってしまって何も話せないような気がして怖い。
仮に話ができたとして、誰かに嫌な思いをさせそうで怖い。
そして人の話を聞いたとき、嫌な気分になるかもしれないのが怖い。
よく考えれば一人一人違う経験をして、違う感じ方をして、違う苦しみを抱えていることなんて、自死遺族というくくりがなくても同じことだ。
何も話せない、誰にも言えないと思っていたけれど、実際ブログを始めたら自分の経験を書くことができたし、書くことで救われた部分もある。
きっと案ずるより産むが易しで、一度行ってみれば今思っているような不安は消えるんだろうし、心が軽くなることもあるんだろう。
……と、頭ではわかる。
が、まだ、今は怖い。
その他に現実的な理由として、私の住んでいる地域だと平日の開催しかないという点が挙げられる。
わざわざ遠出したり、有給を取得したりしてまで参加するほどのパッションはないな……というのが正直なところ。怖いし。
いつかビビっている自分を奮い立たせて、そういう場に参加してみたいなあと思う。