もしもまったく知らない他人が自死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたら
※私が個人的に考えたことを書いているだけの記事です。
◇他人の自死
考えてしまった。
その人の背景も性格も歴史も何一つ知らない状態で、まさに今死を選ぼうとする瞬間を目の当たりにしたとしたら、自分はどうするだろう。
会話を交わせる距離感だとして、そこで語れるのはあくまで自分なりの言葉だけ。
自分がこう思う、ということしか話せない。
遠い距離に居たとして、変に行動を起こし近づこうとしたことで刺激してしまうのも逆効果だ。
結局のところ自分にできることなどないように思える。
ただ、できることがないからといって、気づかなかったことにして通り過ぎるのも違うし、ぼーっと傍観しているのも違うんじゃないかという気がする。
そもそもの話、他人が本人の選択を妨げる行為をして許されるのか。
私は現在自死を選ぼうとは思わないし選ぶべきではないと思うが、広い意味でいうと自死も人生におけるひとつの選択肢では?だとか考え始めるとキリがない。
◇自分の思い出
「ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話」という記事で書いたが、私は以前ビルの屋上から飛び降りようとしたことがある。
生きていたら良いことだってある、と今なら思うけれど、中学生の私には全然そんな未来が想像できなかった。
睡眠改善薬をたくさん飲んだ状態で落ちれば苦しくないのではと考え、ODした直後にビルの屋上に上ったのだった。
屋上の塀の前に立ったとき、下校途中の中高生の集団がこちらに気づいた。
誰か一人が私を指差すと、集団みんなが屋上を見上げてげらげらと笑い出した。
何が面白かったのかはわからないが、私は不思議な気分になった。
既に薬を飲んでいたのでもはや「自殺しない」という選択肢は残っておらず、足を踏み出して飛び降りる決心もつかず、心の中で「死ぬしかない」「死にたくない」を繰り返していたところに出会った彼らはすごく楽しそうで、全然別の世界にいるように見えた。
彼らはこちらに向かって声を掛けたり近づこうとしたりはしなかった。
あまりよく覚えていないが、たぶんそのまま帰って行ったのだと思う。
私が飛び降りようとしているとは思わなかったのかもしれない。
いたずらして勝手に屋上に上っている中学生に見えたのかも。
あのときの彼らは別世界の生き物のように見えた。
暢気に集団でつるんで下校してげらげら笑って楽しそうで。
今になって思うと、彼らは私を一瞬現実に引き戻してくれたんじゃないかという気がする。
こちらを指差して笑う人たちを見て、自分を客観視したのは事実だ。
まあ、頭がぼーっとしていたし「死にたくないなあ」という気持ちもあったので一概には言えないのですが。
結果として、私は飛び降りなかったし、今もこうして健康に暮らしている。
◇母の場合
今回は他人が自死を選ぼうとする場面で、という仮定で書いているものの、親しい間柄だって同じことだ。
母が首を吊ってから何度も考えたことがある。
もし母から直前に連絡がきたとき、電話をかけていたら。
急いで家に帰って母の元へ駆け付けていたら。
自分は何を話していただろう。
自分は母を止めることができただろうか?
何を伝えるべきだったのか。
どうすべきだったのか。
自分に何ができたのか。何ができなかったのか。
仮の話をしても仕方がないと言われればそれまでだ。
でも、私は何回も考えてしまうし、結論が出ることもない。
◇正解がない中で
結局、正解なんてないのだろう。
正しいとか間違っているとかそういう次元で語る事柄ではない、そういうことなんだろう。
ただ、何をするか。何をしないか。
どうしたいと考えるか。
どうしようと決意するか。
自分自身の選択で、自分自身の問題だ。
難しい。
誰かが自死を選ぼうとしたとき、通報を受けた警察官の方はその場の対応を求められる。
そこにマニュアルはあるのだろうか。
本人がこんな状態なら話し掛けるべき、だとか。
本人がここまで追い詰められていたらしばらく静観すべき、だとか。
きっとある程度のガイドラインはあるはずでは?と思うけれど、その場その場で求められる対応は違うだろうし、どんな行動が何を引き起こすかなど予測できないんじゃないかなあと想像する。
私はただの一般人で、自分がこの先そういった場面に遭遇する可能性も少ない。
そんな仮の状況を考えるなんて無意味かもしれない。
でも、私は考えてしまう。
知らない誰かが死を選ぶことに他人がああだこうだ言うのは無責任だし、自分勝手な意見でしかないし、私は誰かの自死について考えるフリをして、自分のことしか考えていないんだろうな。