ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

母と愛猫Tと捨て猫たちと猫嫌いだった祖母の話

母はあまり友人が多いタイプではなかった。

彼女が亡くなったとき、やがて母という人間が生きていたことも忘れられてしまうのだろうと思うと悲しかった。

母がちょっとしたときに話してくれた思い出、つらかったことや悲しかったこと、楽しかったことや嬉しかったことも全部消えてしまうのは嫌だった。

ということで、今回は昔聞いた母自身の話を書こうと思います。

 

◇愛猫T

 

母は動物好きだった。

四人目の家族だった愛犬Aとの思い出」で書いたように、犬を飼った際も真っ先に心を奪われたのは母だった。

 

専門学生のとき、母は猫を飼っていたそうだ。

名前はT。

元々Tは捨て猫で、母が拾ってきた。

白と薄茶色の毛並みに緑色の瞳をした雄猫でどちらかと言えば大柄だったという。

 

好きなときに家を出て行っては、虫やネズミを咥えて帰ってくる。

ただでさえ猫嫌いな祖母はTがネズミを持ってくるととてつもなく嫌がったのだと母は話していた。

気ままにあちこち歩き回るTは近所でも有名だったらしい。

とことこその辺りを駆け回る姿や、ネズミを持って歩く姿がよく目撃されていた。

 

母は英語の勉強をしていて、しょっちゅう長期の海外旅行に出掛けていた。

一か月間アメリカに滞在したとき、列車に乗りながら母は嫌な予感に襲われた。

最初は家族に何かがあったのかと思ったと言っていた。

しかし当時はスマホも携帯もない。手紙はタイムラグがある。

不吉な気分のまま帰国した母を出迎えたのは祖母だった。

空港まで迎えに来た祖母は「Tが車に轢かれて死んだ」と伝えた。

母はその瞬間が未だに忘れられないのだとよく話していた。

 

泣きながら電車に乗って、タクシーに乗って帰った母は事故現場に向かった。

Tが轢かれたと思われる付近に、小さな花束がひとつ置いてあった。

発見した誰かが置いてくれたのかもしれない。

 

母は自分を責めたという。

自分が暢気に海外旅行している間にTは死んでしまった。

車にはねられて痛かっただろう。

道路に転がり冷たくなっていく最中、苦しかっただろう。

最期を看取ることもできず、何日も経ってから死を知るなんて飼い主として失格だ。

そんなことを考えたと言っていた。

 

◇野良猫

 

私が子どもの頃、たまに野良猫と出くわした。

「家で飼おう」と提案すると母は頑なに受け入れてくれなかった。

無責任なことはできない。

自分で勝手に家に連れて帰って本当に責任をもって育てられるのか?

最後までそばにいてあげられるのか?

そういうことを分からせるために、母はTの話をしていたのかもしれない。

幼い私にとっては、母は厳しいことばかりいって何も許してくれないという感覚だったけれど。

 

ただ、母が亡くなった後、祖母と話をしていて、私の中の母のイメージとだいぶ違うことに驚いた。

 

Tを飼うよりもずっと前、小学生の母は何度か捨て猫を家に連れ帰っていたのだという。

大きめのバッグの中に子猫を入れて帰って、「飼える訳がない」と呆れる祖母にも頑として譲らず、仕方なく牛乳を飲ませてあげたらしい。

衰弱していた猫は間もなく亡くなってしまい、庭に埋めたそうだ。

 

Tは、母が連れ帰ってきた最後の猫で、唯一看取ることができなかった猫だった。

大柄のTは他の猫よりも長生きをした。

主に母が世話をしていたと本人からは聞いていたが、祖母はほとんど自分が面倒を見ていたと語った。

 

祖母は自宅で仕事をしていた。

母がアメリカへ行っていた時期は特に忙しく、Tの面倒もあまり見られなかったらしい。

最近姿を見ないなと思っていると、ご近所さんから立て続けに声を掛けられた。

「三日前に……」「お宅の猫が……」「通りがかった○○さんが脇に避けてくれて……」などなど、断片的な情報を聞き祖母は真っ青になったという。

どう考えても母は激昂するだろう。どうしたものか。

慌てて現場に行くと、もうそこにTの姿はなかった。

少し離れた場所にそれらしき跡があった。

祖母は両手を合わせることしかできなかった。

 

空港へ迎えに行くと、日焼けした母へ真っ先にTのことを告げた。

祖母の予想に反して母は固まったままボロボロ泣き出した。

黙って泣き続ける母にかける言葉もなく、祖母は電車に乗ったそうだ。

 

タクシーに乗ると、黙っていた母が急に口を開いた。

ボロボロと泣きじゃくりながら、母は祖母を詰った。

 

きっと自分がいない間ご飯もあげなかったんだろう。

家にも入れずに追い出したに違いない。

あんたがちゃんと世話をしていればTは死ななかった。

全部あんたのせいだ。

絶対に許さない。

もうあんたなんか信用しない。

 

嫌いな猫を勝手に連れて帰って、勝手に海外旅行に出掛け、仕事中の祖母世話を見させた上にそんな言葉を投げつけるなんてとんでもないと思いつつ、祖母は黙っていたという。

以来、母はTの話をすることはなかった。

猫を拾ってくることも、ペットを飼おうとすることもなかった。

 

◇母と祖母

 

母はあまり祖母とは仲が良くなかったとよく話していた。

祖母は怒ると怒鳴るのではなく、黙り込む。

何日も母を無視する。

仕事に勤しむ背中が自分を拒否しているように感じて、自分に子どもが出来たら絶対そんな怒り方をしないようにしようと思っていたと語っていた。

まあ、残念ながら母も同じタイプで、私もよく何日どころか何週間も口をきいてもらえなかったことがあった。

歴史は繰り返す……

 

それはそれとして、猫の話を聞いていると、私の思っていた母のイメージと、祖母に聞いた母のイメージは全然違う。

私にとっての母は、捨て猫を拾うなんてとんでもない!と理詰めで説得してくる人だ。

祖母にとっての母は、捨て猫を拾って何が何でも飼う!と感情的に主張する人だ。

 

母の語った母自身のイメージと、祖母に聞いた母のイメージも全然違った。

母はTを溺愛していて、何も出来なかった自分を責めたと言っていた。

祖母は、母が身勝手に出掛けて、祖母を責めて泣き続けたと言っていた。

 

私は誰よりも自分が母の傍にいたと信じていたけれど、私の知らなかった母の一面を死後にようやく知った。

きっと私が知らない他の面がたくさんあるんだろう。

そんな当たり前のことを思った。

 

なんだか何が書きたいのか分からなくなってきたが、逆に言えば私にとっての母は私にしかわからないのだ。

私しか知らない母の話や、母の過去もあるはず。

ということで、「母の昔話」としてまた別の記事でいくつか思い出話を書いてみたいと思う。

 

◇Tのこと

 

母は悲しい思い出としてTのことを語ることが多く、Tと過ごした楽しい時間や嬉しかったことなどを話すことは多くなかった。

ただ、犬を飼おうとペットショップにいったとき、後に我が家の愛犬となったAを見た母は「Tと毛の色がそっくりだ」と嬉しそうにしていた。

Aが大きくなってからも、時々思い出したように「Tに似てるね」と背中を撫でては嬉しそうにしていたから、きっと母にとってTとの思い出はかけがえのないものだったのだろう。

もっとそんな話もしたかったなと思う。

 

そしてAは歩けなくなり、食べられなくなり、虹の橋のたもとへ」で虹の橋(亡くなったペットの魂が向かうとされていて、飼い主と再会するまで待っていると言われている場所)のことを書いた。

なんとなく虹の橋は犬について語られるような印象があるが、たぶん猫も変わらないはず。

母も犬のAも猫のTも、かつて飼っていたという捨て猫たちもみんな、今は同じところで楽しく過ごしているのかもしれない。