花粉の時期になると思い出す、登下校の合間にこっそり煙草を吸った中学時代のこと
※中学時代の喫煙について書いていますが、二十歳未満の喫煙を推奨する意図は一切ありません。
◇花粉症デビュー
社会人になってから花粉症デビューした。
目の痒みで目が覚める。サラサラの鼻水が延々と流れ落ち続ける。くしゃみが止まらない。晴れた日のほうが辛そうなイメージを持っていたのに、雨の日のほうが症状は重い。そんな感じ。
花粉症は遺伝するのだろうか?
両親はふたりとも花粉症だった。
幼い頃、自分は何ともないのにふたりして辛そうに鼻を噛んでいて、かわいそうだな~と完全に他人事で眺めていたことを覚えている。
特に母は重めの花粉症だった。
出掛けるときはマスク、サングラス、つばの広い帽子を装備し、首にはスカーフを巻いて、つるつるした素材のアウターを羽織り、万全の体勢でを整えてからでないと家を出ようとしなかった。
「目玉を取り出して洗いたい」
「鼻にティッシュを突っ込んでおきたい」
「早く夏になって欲しい」
と毎年のように愚痴っていた。
また、鼻水が出すぎているのか、匂いや味がわからないのが辛いとよく話していた。
食事をしていても細かい味がわからず、食べる作業も嫌になるのだという。
そのせいで、春になるとご飯の味付けは結構めちゃくちゃになった。
幸いなことに、毎度料理の味に文句をつけずにはいられない父も、同じく重めの花粉症であまり味が認識出来ないらしく、私ひとりが「なんか味おかしいな……」と心の底で思って終わるだけだった。
私はそこまで重い症状がなく、ご飯の味も匂いもわかる程度なのだが、そんな症状まであったらそりゃあ春は憂鬱で仕方がなかっただろう。
昔はあたたかな陽気で花が咲き始める春が一番すきな季節だったので、早く夏になってほしいという母の言葉に首を傾げるばかりだったが、いざ自分が花粉症になってみると、母の言っていたことがよくわかる。
◇煙草デビュー
前振りが長くなってしまったが、そんな訳で、両親は春になると極度に鼻が効かなくなる人たちだった。
今回は、彼らの花粉症をいいことに、こっそり煙草を吸っていた私自身の中学時代の思い出について書こうと思う。
以前、「今さら自傷行為と無縁の思春期をやり直すこともできないので」という記事で中学時代の嘔吐癖・アムカ癖について書いたが、煙草を吸っていたのはそうした自傷を始める少し前、明確に「死にたい」という気持ちを意識する前のことだったと思う。
中学一年生~二年生になろうとする春、死にたいとまではいかないまでも私は周りのすべてがつまらなくなっていた。
友人は部活や委員会で忙しく、一人で下校する帰り道、物凄く虚しくなった。
昔は何でも一番になれたのに、勉強は追いつけないし運動神経の良い子はたくさんいる。何をしても面白くない。
何か、他の誰もしていないようなことがしたい。
もっとわくわくできる何かがあればいいのに。
そんなとき、猫が歩いているのを見つけた。
大きめの道を外れ、細い通りに入っていくのを何となく追いかけた。
追いかけたは良いものの、その猫は足が速くあっという間に見失ってしまった。
ふと、煙草の自動販売機が目に入った。
魔が差したとはああいうときのことをいうのだろうか。
私はそのまま財布を取り出して、自動販売機に近づいていった。
平日の夕方、細い通りに人気はない。
とはいえ、通学路でどこから誰が見ているかわからない。
心臓がばくばくした。緊張と興奮で。
自分は今まさに悪いことをしているという感覚があって、誰かに見つかるかもしれないというスリルもあって、触ったこともない煙草を手にしたらどんな感じだろうという好奇心もあって、どんよりした虚しさが吹き飛んでいくような気がした。
銘柄も何もわからないので、とりあえず手の届く段の端にある白い箱のボタンを押した。
白のほうが初心者向けっぽい。
たしか金額は300円しないくらいだった。
当時、taspoが導入される一、二年前だったので、何もなくても買うことができた。
制服姿かつ中学のすぐ近くで煙草を購入するなんて違和感バリバリだし見つかったら即終了で頭が悪い以外の何者でもないと今なら思うが、そのときは凄くわくわくしたのだった。
鞄の底に煙草を押し込み何食わぬ顔で歩いた。
駅の売店でライターを買った。
そして踏み切りを渡って、建物の奥にある誰もいない竹林に向かった。
見よう見まねでライターの火をつけて、煙草を一本取り出した私は少し躊躇った。
バレたらどうしよう。
誰かに見られたら困る。
今ならまだ間に合う。
このまま何もせず捨てて家に帰ろうか?
でも、ここは誰も通らない。
両親は花粉症だから服についた煙草の匂いなんか気づかないだろう。
折角お金を払って買ったんだし。
誰かに迷惑を掛けてる訳でもないし。
結局、私は火をつけた煙草をくわえた。
吸い方なんてわからないからテキトーだ。
いきなりたくさん煙を吸い込んで思いっきりむせた。
煙草は苦くて、煙は臭くて、咳が出て、何が良いのか全然わからなかった。
でも、楽しかった。
いけないことをしている背徳感。
それは、後に自傷にハマってこっそり腕を切りつけているときの感覚に通じるものがあったと思う。
それまで煙草を吸ってみたいと思ったことなど一度もなかったし、一応まだギリギリ優等生だったので周囲に煙草を吸うような友人もいなかったというのに、こうして中学生の私はまんまと煙草デビューを果たしたのだった。
◇二箱目で終了
以来、学校に行く前や、学校帰りに同じ竹林に通い詰めるようになった。
一度に吸うのは一本か二本だけ。
ひと箱に20本入った煙草を全部吸い終わるまで、何週間かかかった。
竹林で他の人に会ったことは一度もなかった。
奥の方にぼろぼろになった廃屋があり、たぶん誰も住んでいないようだった。
父も、母も、私がこっそり煙草を吸っていることにまったく気づいていなかった。
完全に見よう見まねだったが、吸い続ける内に最初のようにむせてしまうことはなくなった。
それでも煙の味を美味しいと感じたことはなかったし、なんで大人はこんな苦いだけのものを吸うのかなあと不思議に思いながら、私は毎日煙草をすぱすぱ吸っていた。
全て吸い終えると、一箱目を買ったのと同じ自動販売機で同様に二箱目を購入した。
相変わらず人気はなかった。
誰にも見られることなく無事二箱目をゲットした私は、前回ほどのわくわく感が得られないことに気がついてつまらないな~と思った。
あのとき感じたスリルはもうなかった。
煙草を買っても、煙草を吸っても、誰にも気づかれないということを私は知ってしまっていた。
大したスリルもないなか、大して美味しくもない煙草を吸い続けることに、私は既に飽き始めていたのだった。
そんな中、私は風邪を引いた。
喉が痛くて話すことも辛いレベルの風邪。
大人しく家に帰れば良いものを、私はいつものようにあの竹林に向かった。
いつものように火をつけて、煙草を吸ったら激痛が走った。
腫れ上がった喉の奥、吸い込んだ煙がダイレクトに触れると信じられないくらい沁みてめちゃくちゃ痛かった。
私はすぐ火を消した。
帰って自室の机の一番下引き出しの奥底に煙草をしまい、以来、成人した後も一度として煙草を吸ったことはない。
◇誰かに気づいてほしかった
ちなみにあのときの煙草は未だに同じ場所に眠っている。
久しぶりに取り出してみたところ、購入した銘柄は「KENT ULTRA1 100's」だった。
10年以上前の煙草を一本取り出すと、茶色い葉の部分がぱらぱらと落ちてきた。
特に意味はないが、なんとなく、元の場所に戻して引き出しをしめた。
二十歳未満の喫煙は法律で禁止されている。
法律で禁じられたことをしてしまった後、私のなかの「やってはいけない基準」は緩くなってしまった。
煙草に比べればまあいっかと考えるようになった。
やがて嘔吐癖が始まり、腕を切ったりODしたりするようになったがあまり抵抗がなかったのはそのせいだろう。
喫煙=自傷とは言い切れないが、少なくとも私にとって、喫煙は自傷のきっかけのひとつとなった。
自殺に失敗したのも、ちょうど煙草をやめてから一年くらい経った後のことだった。(ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話)
たぶん、私は誰かに気づいてほしかった。
母でもいい。父でもいい。友人でも、通りがかった他人でも誰でもいい。
「煙草なんて吸っちゃ駄目!」とか、「煙草吸ってるの!?」とか、「何してるの!!」とか、方向性は何でもいいから私がイレギュラーな行動をとっていることに気づいてほしかったんだと思う。
私はさみしかった。
さみしくてさみしくてさみしくて、自分の価値がわからなくなって、悪いことをして誰かに気づいてもらいたかった。
結局、誰にも気づかれず、喫煙の記憶は花粉の時期にぼんやり思い出されるだけの代物となっただけだった。
この先もさみしくなることはあるだろうけれど、もう煙草は吸わないと思う。なんとなく。