綺麗なものが好きだった母の描いた「ミロのヴィーナス」
今回も母の昔話で、美醜と絵に纏わる思い出です。
◇いじめとコンプレックス
母は大人しい性格の子どもで運動や外に出て遊ぶことが苦手、基本的に室内の遊びを好んだ。
そして物心ついた頃からいじめに遭っていた。
きっかけは名前。
母の名は品のない言葉と響きが近く、いつも○○○と呼ばれていたそうだ。
からかわれたり、馬鹿にされたりしても言い返さずじっと耐えるタイプの母は恰好の標的で、投げつけられる言葉は徐々にエスカレートし、やがて毎日のように「ブス!」「ブス!」といじめられるようになった。
また、母は幼い頃に大きな火傷を負っており、大人になってからも肌が引き攣れ皺だらけになってしまっている部位があった。
きっと子どもの頃はより爛れて、変色もしていたのではないかと思う。
そのせいで、水泳の授業があると「気持ちわるーい」と笑われるのがとても嫌だったと言っていた。
そんな母は、きっと娘が自ら体を傷つけて治ることのない跡を残したと知ったときひどく落ち込んだのだろうなと思うと申し訳なさといたたまれなさしかない。(今さら自傷行為と無縁の思春期をやり直すこともできないので)
とにかく、そういった出来事のせいか、母は容姿に対するコンプレックスを強く持っていて、それは私が産まれてからもそうだった。
顔の造形のひとつひとつ、肌、体型、髪質などなど、自身の容姿を忌み嫌っていて「どうせ私はブスだから」といつも苦笑いを浮かべていた。
幼い私は悲しそうな母を見るのが嫌で「大丈夫だよ、おかあさんは綺麗だよ」と何度も伝えたことを覚えている。
そうすると必ず母は「私のことを綺麗なんて言ってくれるのは沖ちゃんだけだね」とますます悲しい顔をするのだった。
贔屓目もあるかもしれないが、客観的に見て母は本人が気に病むような外見をしていなかったと思う。
ただ、母にとって、周囲が何と言うかは関係がなかった。
幼い頃植え付けられた「ブス」「気持ち悪い」という言葉が常に彼女を縛っていたように思えてならない。
◇ミロのヴィーナス
母は綺麗なもの、可愛らしいものが好きだった。
趣味はガーデニングで、色とりどりの薔薇をはじめ、たくさんの種類の花を育てていた。
甘い香りのポプリ、ピンク色のワンピース、美しい風景画、綺麗な食器、ふわふわしたクッション……母の周りは乙女っぽいグッズに溢れていた。
鏡台には何色もの香水瓶が並んでいて、たくさんのアクセサリーやいろんな色のアイシャドウが私には眩しく見えた。
カラフルなものが多い中、寝室に飾られた絵はシンプルだった。
黒い背景に、斜めの方向を向いた白い像。
何とも言えない質感の絵が怖かった。
描かれていたのはミロのヴィーナス。
近くの棚には絵と同じ像のレプリカが仕舞われていて、私にはそれも怖かった。
両腕のない女性の像を見ると今にも動き出しそうに思えた。
高校生のとき美術部だった母が描いたという油絵。
母は随分それを気に入っていた。
私が小さかった頃は、時々レプリカを取り出し、絵と並べて楽しそうに眺めていた。
「なんであれを描いたの?」と聞いたことがある。
母はにこにこ笑うだけだった。
「どうして腕がないの?」と聞いたこともある。
母は、「そのほうが綺麗でしょ?」と言った。
幼い私には、腕のない白い像の美しさが理解できず、例えば半透明の香水瓶のほうがよっぽど綺麗なのに、と嬉しそうな母を不思議な気持ちで見ていた。
私は美術に明るくないので、正直今でもミロのヴィーナスの美しさを理解できているとは言い難い。
母は一体どんな気持ちであの絵を描き、飾り続けたのだろう。
腕がないほうが綺麗だというのはどういう意味だったのだろう。
欠損した状態が美しいということだろうか。
あるいは、腕が失われる前の姿をそれぞれが想像できるという意味で言っていたのだろうか。
私には難しくて、よくわからない。
今となっては尋ねることもできない。
いつか一緒にルーヴル美術館に行って本物を見ようね、と楽しそうに話してくれたけど、それも叶わない。
◇絵を描くこと
話を聞いていると、母はとても絵が好きで、たくさんの絵を描いていたようだった。
しかし、私が物心ついてから、母が大がかりな絵を描いたところは見たことがない。
せいぜいがキャラクターの落書きとか、某人間とか、そのレベル。
私も小さな頃は絵を描くのが好きだったので、不思議に思って聞いてみた。
「どうして絵を描かないの?」と。
すると母は、昔話をしてくれた。
美術部に入っているとき、毎日のように絵を描いていた。
熱心な部員もいたし、ほとんど顔を出さない部員もいた。
そのなかに、母と同じようにほぼ毎日絵を描く友人がいて、とても仲が良かったのだという。
あるとき、風景画を描くというテーマが出された。
母は校庭からの風景をせっせと描いた。
きれいな青空に、白い雲が流れ、緑色の山々が連なる様を描いた絵は我ながら良い出来だと思ったそうだ。
完成間近の頃、仲の良い友人が色を塗っている様子を覗いた母は人生初くらいの衝撃を受けた。
友人は別のアングルから、母と同じような絵を描いていた。
空と、雲と、山々。
しかし、彼女の絵はまるで違った。
目に入ったのは鮮やかな桃色と黄色。
予想外の色合いで丁寧に塗り込められた空は、見たことがないくらい美しかったという。
友人は母と同じ青い空を見て、その色を選んだ。
そして母以上に的確に、美しくその空を再現していた。
母はその絵を見た時、自分には決してこんな絵を描くことができないと気がついたと話していた。
それ以来、カラフルな絵を描く気になれないのだと。
本当のところはわからないが、白と黒で塗られたミロのヴィーナスは、もしかしたらその後に描いたものだったのかもしれない。
◇綺麗なもの
母が亡くなったとき、少し迷った。
棺桶に一緒に入れたほうが良いだろうかと。
でも、入れられなかった。
もしかしたら一緒にして欲しかったかもしれないけれど、なんとなく入れられなかった。
今もこの絵は寝室に飾られたままで、目に入っても大して意識されないくらいには室内の風景に同化してしまっている。
時々、足を止めてぼーっと眺めて、やっぱり私にはよくわからないなあと思うのだった。
「自分は醜い」という思いに縛られ続けた母は、わかりやすく綺麗なものに囲まれることを好んだ。
そのなかで唯一、(私にとって)わかりにくい美しさを放つのがミロのヴィーナスで、恐らく、母が最も好んでいたのもミロのヴィーナスだった。
たぶん、美術に造詣が深い方から見ればとても美しいのだろうけれど、私にはよくわからなくて、いつか分かる日がくるのだろうかと思っていたが怪しいところだ。
死ぬ前にルーヴル美術館に行けたら、良い土産話になるかもしれない。