ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話

中学時代、私が自殺を図ったときの話です。

ODや自殺を推奨する意図は一切ありません。

 

とにもかくにも「死にたい」という思いばかりが頭を巡っていた私は何度かODしたことがあった。

ODとはオーバードースの略で、薬を過剰に摂取すること。

といっても、当時はまだ通院もしていなかったので、家にある薬や、ドラッグストアで買える市販の薬をとりあえずたくさん飲んだ。

本格的に死のうとしてODしたことはなかった。

何も起こらず終わることもあれば、お腹が痛くなって病院にいったこともあるし、意識が飛んで救急車で運ばれたこともある。

 

しかし、あるとき不意に「死のう」と思った。

14歳の二月初旬、寒さの厳しい時期だった。

 

◇自殺を本気で決意した瞬間

 

前回書いたように「つらい・苦しい・死にたい」という気持ちを嘔吐やアムカで発散していた私は、初めのうちは結構楽しく自傷行為を行っていた。

 

今さら自傷行為と無縁の思春期をやり直すこともできないので

 

良くないことをしている自覚はあったし、だからこそスリルがあった。

だが、何事もそうだと思うが、同じことを毎日続けていると次第に新鮮味が薄れていく。

腕を切っても、何度吐いても、それが当たり前になってしまって、何も感じなくなっていったのだ。

目に映る世界がグレーになってしまったような、いや、グレーという色すらなくなってしまったような感じだった。

心が空っぽになっていく不思議な感覚を今も覚えている。

 

母にその気持ちを伝えたことがあった。

「自分は空っぽだと思う」と告げると、母は押し殺した声で怒った。

「そんな悲しいこと言わないで」と。

その悲しそうな表情を見ても、何とも思わなかった。

 

そして二月のある朝、いつものように腕を切りながら「死のう」と思った。

だらだら血が流れている傷口はきっと痛いはずなのに、痛覚すらなくなったように何も感じない。

あんなに苦しくて、死にたくて、つらくて仕方がなかったのが嘘みたいだった。

楽しさも、嬉しさも、悲しみも、怒りも、苦しみも、虚しさも、何も感じなかった。

私の感情が完全に空っぽになってしまった瞬間だった。

特に感慨もなく死のうと決めて、それが正しいことだと確信した。

 

睡眠薬をODしてふらふらになった状態で高いビルから飛び降りればあまり苦しまずに死ねるのではないか、というのが私の考えだった。

ドラッグストアに行ってドリエルという薬を大量に買おうとしたら一箱しか買えないと断られ、数日掛けて一回に一箱ずつ購入した。

12錠入りの箱が当時2000円近くした気がする。

中学生の私にはかなりの出費だが、どうせもう死ぬのだからとお年玉で貯めた金を寄せ集めれば大したことはなかった。

計4箱のドリエルを入手したところで、私は計画を決行することにした。

 

ただ、あれほど死にたいと望んでいた割に結構詰めが甘くて、ドリエル睡眠薬でなく睡眠改善薬に過ぎないし、4箱=48錠は死に至る量ではなかった。ということを後から知った。

 

◇帰りの電車で

 

当日の朝、死んだ後に見られたくないと思う物を駅のトイレに捨てた。

いつものように腕を切った後、鞄に4箱のドリエルを忍ばせたまま普通に学校に行った。普通に授業も受けた。いつも通りに下校時間を迎えて学校を出た。見た目には何も変わらなかったと思う。

地元の駅まで戻ると決めていたので、とりあえず電車に乗った。

電車はがらがらだった。空いている端の席に座った。

携帯電話を取り出してデータを全て消去し、電源を落とした。

 

顔を上げると窓の外にオレンジ色の夕焼けが見えた。

綺麗だなーと思った。

急に涙が出てきた。

泣くのは久しぶりだった。空を見るのも、景色を綺麗だと思うのも久しぶりのことだった。

 

夕日に照らされて過ぎていく町並みが見えた。

きっとあそこには私の知らない人がたくさん住んでいて、私が知らない楽しいことや幸せなことがたくさんあるんだろう。

なんで?と思った。

何も知らずにこのまま死んでいくなんて悔しい。

まだ死にたくない。

暖房の効きすぎた車内で、私は悔し涙と鼻水をだらだら流しながら歯を食いしばった。

 

たぶんあのとき、空っぽだった私の心がちょっと復活したんだと思う。

あの日もし雨が降っていたら、今、こうしてブログを書くこともなかったかもしれない。

 

そこで踏み止まっておけば良いものを、私は追い詰められていた。

別に誰かに自殺すると告げていた訳でもなく、自殺を決行するか否かは自分のさじ加減でしかなかったのに「もう死ぬしかない」と思い込んでいた。

何度も鼻を噛むうちに電車が自宅の最寄り駅に着いた。

泣くほど「死にたくない」と思いながら、私は死ぬために電車を降りた。

 

◇飛び降りに失敗

 

毎朝腕を切っていた駅のトイレに向かうとタイミングが悪く長蛇の列ができていた。

仕方なく駅前のスーパーのトイレに入った。

陽気なBGMがかかっていた。

私は持参した箱を開封し、48錠を何回かに分けて飲み込んだ。

吐き癖がついてしまっていたため、戻してしまわないよう、回数を減らしなるべく少量のお茶で飲んだ。

ゴミを捨ててスーパーを出た。

 

向かった先は駅から徒歩5分ほどの場所にあるビルだった。

そのビルは非常階段がついていて、最上階の踊り場から屋上へ上るはしごがあり、誰でも上れる状態になっている。

あー、死にたくないなー、と心の中で何度も繰り返してはしごを上った。

地上を歩く下校途中の中学生だか高校生だかの集団が、屋上に上る私を指差してげらげら笑っているのが見えた。

辺りはまだ明るかった。

 

吐かずに全て飲み込んだのに、まだ薬の効果は感じられない。

完全に暗くなるのを待ち、十分に薬が回ってから飛び降りるというのが当初の計画だった。

屋上の塀の前に立ち、暗くなっていく空を見上げた。

そしてそのままはしごを降り、非常階段を下って、家に帰った。

 

私は飛び降りることができなかった。

自殺に失敗したのだった。

 

◇幻覚と幻聴

 

そこからの記憶は断片的だ。

帰宅後、夕飯を食べようとしたが残してしまった。

そして風呂に入った。

 

その頃にはかなり薬が効いていて、頭の中がぐるぐると回り酔っ払ったような状態だった。

全身がガタガタ震えていうことをきかない。

 

湯船で幻覚に襲われた。

あれは私が人生で見た最初で最後の幻覚だった。

どうしてか、あの幻覚はよく覚えている。

お湯の水面がゆらゆら揺れて本のページになった。

透明なお湯に文字がたくさん浮かんで見えた。

私は声を出して文字を読み上げ、夢中でありもしないページを捲った。

 

幻聴がきこえた。

風呂にいるのに、犬がフローリングを歩くときの音がした。

耳元で曲が流れ始めた。

特に好きでも嫌いでもなく、何故その曲だったのかはよくわからない。

サビの「すぐに行ったほうがいい」という部分がぐわんぐわんと耳の奥で響いた。

 

浴室の壁に存在しないはずのドアが見えた。

ドアを開けようとするも足元がぐにゃぐにゃ揺れて上手く立ち上がれない。

やっと辿り着いたドアを開けようとしても全然開かない。

 

壁のドアに先ほどの本のページが見えた。

ページを捲ろうとした。もう文字を追うことはできなかった。

耳元では犬が駆け回る足音がして、「すぐに行ったほうがいい」というフレーズが何度も何度も繰り返された。

意味をなさない幻覚と幻聴の中で段々意識が遠のいていき、「死にたくない、悔しい」と最後に思った。

 

◇救急搬送と入院

 

私は意識を失い、脱衣所にぶっ倒れている状態で発見された。

何故か下着をつけず素肌にそのままパジャマを着ていたらしい。

そのまま救命救急センターへ搬送された。らしい。後から母に聞いた話だ。

母は初めて心肺蘇生をした、と言っていたから、呼吸が止まっていたのかもしれないが、今となっては真相は謎だ。

 

目が覚めると、両手に点滴をされていた。

右手の点滴は刺さり具合がなんだかおかしくてズキズキと痛かった。

頭がぼうっとしてまともにものが考えられない。

気持ち悪かった。

耳元で犬の足音がした。

周りに知らない人がたくさんいた。

誰かに何かを聞かれて、訳もわからず頷いた。

右手が痛いなあ、と思い、私は再び目を閉じた。

 

次に起きたときは少しだけ頭がはっきりしていた。

ベッドの横に母がいた。

右手の痛みが増していた。

きっと体の他の部分もおかしくなっていたはずなのだが、とにかく右手が痛くて仕方がなかった。

母が何かを言っていた。

 

三回目に意識が戻ると、右手の痛みが耐え難いくらいになっていた。

右手に刺さった管が真っ赤だった。点滴のパックの近くまで真っ赤。

血が逆流してしまっていたのだった。

母の姿はなかった。

私は病室に一人きりだった。

その後訪れた看護婦さんに痛みを主張したが、つけていなければならないからと言われてしばらくそのままにされた。

あのときの点滴跡は地味に何年も痛くて、未だに小さく傷跡が残っている。

 

時間感覚がおかしくなっていたので正確には覚えていないが何日か入院した。

気持ち悪さとぐらぐら眩暈のするような感覚は少しずつ薄れていった。

初めは食事も取らせてもらえなかったが、しばらくすると病院食の許可が下りた。

あの食パンがもうとにかく美味しくて感動した。

美味しい、美味しい、と言って完食して母に呆れられた。

四人部屋だったが他に入院している人がおらず、個室状態だった。

 

私は終始ぼんやり過ごした。

現実味がなかった。

生まれ変わったか、フィクションの世界に居るみたいな感じだった。

 

◇ひたすら休んだ一ヶ月

 

家に帰った。

あー、死ねなかったな、と思った。

 

一ヶ月間学校を休んだ。

もう幻覚は見なかったが、犬の足音の幻聴は数週間続いた。

母は私を問い詰めることもなかったし、無理に元気になれとも言わなかった。

ただずっと隣にいて、夢みたいにゆったりとした日常を一緒に過ごしてくれた。

きっと「一人にするな」「責めてはいけない」「そばにいてあげるように」とお医者さんに指示されただけなんだろうが、私にとっては有り難かった。

 

お昼ぐらいまで寝て、起きるとテレビを見た。

晴れた日は母と一緒に犬の散歩をしてのんびり歩いた。

好きなお菓子を食べて、眠たくなるとすぐ眠った。

びっくりするほど穏やかな日々。

こういうのアリなんだ、と思って拍子抜けした。

 

この後から精神科に通うようになるのだが、正直、通院したことよりも一ヶ月間ぼーっと過ごしたことのほうが効果的だった気がする。

実際、あれ以降、自殺願望がなくなりアムカもODもしなくなった。

 

なぜ自殺願望がなくなったのか?

いざ飛び降りようとしたときに「自分は死にたい訳ではない」と自覚したのも大きかったが、今思うと、あの一ヶ月で「決められたレールを外れても別にいいんだなー」と実感したことがかなり影響していると思う。

 

私は幸せ者なんだろう。すぐ傍に寄り添ってくれる存在がいた。

冬から春へ移ろうとする綺麗な青い空の下を、母と犬と一緒に、時間も気にせず歩いたあのとき、私は確かに幸せを感じたのだった。

 

……と、ここで終わればイイ話だな~めでたしめでたしなのだけれど、これをきっかけに母が鬱病になり後に自殺したことを思うとやり切れない気持ちになる。

あのとき寄り添ってくれた母も、犬も死んでしまった今、私はどうやって生きれば良いのだろう?

全然わからない。

 

もし12年前に戻って、死のうとする自分に会えるとしたら、ODはしんどいだけだしやめたほうがいいぞ、苦しいことも悲しいこともあるけど、生きてさえいればそれなりに楽しいこともあるよ、と言ってあげたい。

 

あと、自分のことだけ考えて自殺を図ると、大事な人を取り返しのつかないほど追い詰めてしまうこともあるぞ、と教えたい。

 

そんな感じです。