ゆるされなかった嘘と夢

元メンヘラの自死遺族だけど幸せになりたい!

薬で心は治せるか?あの頃感じていた息苦しさの正体

私が14歳~17歳まで精神科に通っていたときの話と、あの頃に感じていた息苦しさの話です。

 

◇精神科通い

 

前回の記事で書いたODからの入院を経て、私の精神科通いは始まった。

 

ドリエル4箱ODした状態で飛び降りに失敗してから自殺願望がなくなった話

 

正確にいうと、最初に紹介状を出されたのは児童精神科だった。

中学を卒業した後、高校生になってからは同じ病院の精神科へ通うようになった。

電車で20分くらいの場所にある大きな病院だった。

午前中は学校を休み、毎回母に付き添ってもらって予約時間にいくのだが、毎回待合室で結構待った。

待合室を見渡すと、精神疾患があるように見える人はほとんどおらず、見た目には普通の人ばかりが集まっているように見えた。

 

肝心の診察については、正直ほとんど覚えていない。

精神科というと、先生が親身になって話を聞いてくれるカウンセリングのようなイメージが私の中にあったのだが、そういう感じはまったくなかった。

処方された薬の副作用がどうだったかを聞かれて、答えて、普段の様子を聞かれた母が答えて、おしまい。その程度。

毎回、淡々としたやりとりを交わして終わった。

 

そもそも、私は自分が一体何の名目で精神科に通っていたのか未だに知らない。

覚えている限りだと、何らかの病名を告げられたことはなかったと思う。

ぼんやりしすぎていたのか、やりとりのほとんどを母に任せていたからか、それとも薬のせいなのか……とにかく記憶が全然ない。

だから私の認識としては、「自殺しようとしたり自傷行為したり精神的に不安定だから同じことをしないようにとりあえず薬飲ませて経過を見よう」ぐらいに思われてたのかな~という感覚だった。

別に何か精神疾患がある訳でもないのに学校を休んでまで病院通いして良いもんなんだろうか?と半信半疑で通っていた気がする。

 

診察が終わると、母と一緒に近くのファミレスにいくのが私の楽しみだった。

大きなチョコレートパフェだったり、期間限定のいちごパフェだったり。

その時々で好きなメニューを選んでふたりで分け合って食べるのが楽しかった。

平日の午前中で店内は空いていて非日常的な感じがあった。

ふつーに学校サボって遊んで居るみたいな気分。

何年経っても、通院をやめるまで、その習慣は続いた。

 

◇処方された薬

 

初期は他の種類のものも処方されることがあったが、私が継続して飲んでいたのは「セロクエル」という薬だった。

抗精神病薬統合失調症の治療に使われる、らしい。

私は統合失調症だったんだろうか……?

父に聞いてみようかと思ったが、なんとなく聞きづらいし、たぶん彼は私が通院していたときの詳細を覚えていないような気がする。

とりあえず、私はセロクエルの100mg錠を一日2錠、毎晩寝る前に飲んでいた。

 

薬を飲んでいて良かったことは、よく眠れることと、頭の中が一日中ぼけーっとするので神経がぴりぴりするようなことがなかったこと。

退院してから一ヶ月学校を休み、その後再び登校を開始したが、普段だったらいろいろ考えてめちゃくちゃ不安だったと思う。

周りにどう思われてるんだろう、何て説明しよう?とか、勉強ついていけるかな?とか。

しかしとにかく薬でぼーっとしていたので、ぼーっと学校にいき、ぼーっと過ごし、割と普通に学校生活を再開できた。

 

薬を飲んでいて困ったことは、とにかく眠いこと。

朝起きれない。日中も眠い。なんかふらふらする。集中できない。

特に飲み始めた頃はしんどかった。

慣れてくると、頭の中がぼーっとしていてもぼーっとしていない風に振る舞うことができるようになっていった。

でもそのお陰なのか何なのか、今、酒を飲んで頭がぼーっとしてきても、酔っ払う様子をまったく見せずに振る舞うことができる。

 

もうひとつ困ったことは、お腹が減って仕方がなかったこと。

元々ストレスが溜まると過食気味になる質だし、運動するようになったのでそのせいかと思っていたが、今思えばあの異様な食欲は副作用だったんだと思う。

食べ終わった直後からお腹が減る、ご飯のことばっかり考えてしまう、そういう状態だった。

 

◇勝手に減薬

 

自分に不登校の時期があった(と称していいのか不明だが、とにかく周りにはそう思われていた)ことを知っている同級生たちと同じ高校にいくのがどうしても嫌で、少し離れた高校を受験した。幸い、同じ中学出身の人は一人もいなかった。

 

高校に入ってから、とにかく眠すぎて授業に集中できないのと、部活中体に力が入らずすぐバテてしまうのとで、「薬さえ飲んでなければもっといろいろできるのに……」ともやもやすることが多くなった。

先生にも眠くてしんどいから薬をやめたい、やめるのがだめなら減らして欲しい、と伝えていたが、すぐやめると危険だから徐々に減らしましょう、という返事しかもらえなかった。

そのやりとりを五、六回繰り返した後も処方される量に変化はなく、もういいやと思い、先生にも母にも内緒でいきなり減薬した。

 

16歳の夏、100mg×2錠から100mg×1錠へ。

毎晩、飲まなかった1錠をティッシュにくるみゴミ箱に捨てるようになった。

自分の判断で勝手に、一気に減薬するのはいけないことで、場合によっては危険も伴う。

ただ、私の場合は、減薬後のほうががストレスは減り過ごしやすくなったなあというのが正直な感想だ。

 

実際に処方される量が減ったのは一年近く経ってからだった。

100mg×2錠から100mg×1錠+25mg×3錠へ。

私はそれまでと同じく100mgの錠剤を捨て、「えっ減らすって25mgずつ減らすもんなの……去年100mg減らしちゃったけど……もしかしてやばいことしてた?」と内心若干焦りつつその後は25mgずつ減らしていき、やがて薬を飲まなくなった。

 

◇薬で心は治せるか?

 

先ほども書いたが、私は何らかの精神疾患があるという診断なしで精神科に通い薬を飲んでいた。

あくまでもその条件においては、薬を飲み続けることが本当に最も有効な処置だったのか疑問に思う。

 

たしかに通い始めた当初は毎日腕を切りまくり吐きまくり死のうとして入院していたのだから、そりゃあ不安定な状態だっただろう。

病院に通った時期以降、自傷したり自殺しようとしたりしなくなったのも事実だ。

 

しかし、事務的なやりとりを何回か交わす為だけに三年も病院に通い続ける必要があったのか、先生に言われる通りその薬を飲み続ける必要があったのか、そしてそれらが私の精神を安定させてくれたのか、と考えるとよくわからない。

「問題ないから薬を飲むのをやめたい、減らしたい」と再三依頼しても対応してもらえないのってどうなの?と思ってしまう。

 

これは自分の体験だけでなく、精神疾患があると診断された母を見ていても思ったことだ。

母は鬱病になってから、病院へ行く度に処方される薬がどんどん増えていくようだった。

起きているのもしんどそうに見えた。

語弊があるかもしれないが、こんなに薬漬けの母がどういう状態になったら「回復した、薬を減らそう」と判断されるんだろうと密かに疑問に思っていた。

 

そうは言ってもド素人の考えでしかなく、専門知識もないのにどうこう言える筋合いはないということは重々承知の上だ。

もしかしたら私はセロクエルがなければまた自殺しようとしていたかもしれないし、母だってあの大量の薬を飲んでいなかったらもっと早く死んでしまっていたかもしれない訳で、ケースバイケースなんだろう。

それでもなんとなくもやもやするのだった。

 

薬で心は治せるか?

薬を飲み続けることが本当に重要なのか?

うーん。

 

◇息苦しさの正体

 

薬の話とは少し変わるが、このブログで過去のことをあれこれ思い出していて、今は息がしやすくなったな、ということに気がついた。

どうして中学生の頃はあんなに苦しかったんだろう?

 

例えば、行動のひとつひとつに怯えていた。

ジュースを買おう、という話になったとして、自動販売機の前に友人たちと立ったとする。

私がコーラを飲みたいな、と思ってボタンを押そうとしたとする。

そのとき誰かに「コーラ?なんか、沖ちゃんっぽくないね」と言われると天地がひっくり返りそうなくらい動揺する。

「そうそう、いつもなら絶対選ばないんだけど、昨日CM見てどうしても飲みたくて……」とか思ってもいないことを喋って謎の言い訳をしたりしてしまう。

私がコーラを飲みたいという意思なんて誰に「らしくない」と言われることでもないし、らしくないと言われたところで「は?何飲もうが私の勝手だろうが、つーかお前は私の何を知ってるんだうるせえよ」で終わればいいだけの話だ(ここまで喧嘩腰になる必要もないが)。

当時の私にはそう思えなかった。

誰かが思う「私らしい私」を完璧に再現しなければならないと思っていた。

 

私のよくわからない自意識の強さは、他人の前でも発揮された。

例えば電車に乗るのがめちゃくちゃこわかった。

車内に一歩足を踏み入れただけで、乗客全員が自分を見ているような気がした。

どの場所に立つのか、どのつり革を掴むのか、体勢が苦しいけど一歩足を動かしていいものか……といちいち悩んだ。

自分の一挙一動を隣の人も、横の人も、後ろの人も見ていて、自分に対して腹を立てたり、馬鹿みたいだと鼻で笑ったりしているように感じられた。

常に見張られている気分だった。

 

何なら「見張られている」という意識は一人のときですらあった。

一人きりの自分の部屋でも、私は必ず窓を閉め、カーテンを閉め、ドアを閉めた。

窓やドアが開いていると近所の人に会話を聞かれたり物音を聞かれたりしているんじゃないかと思った。

そこまで遮断した上で、私は自分の行動のひとつひとつに理由をつけて動いていた。

「今、ティッシュを取って鼻をかんだのはこうこうこういう訳があってだな……」といちいち脳内で解説していた。

まるで誰かに監視されているみたいに。

監視している誰かに「らしくない」と指摘されたとき、その誰かが思う「私らしい私」の行動に他ならないと説明できるように。

 

ここに書いたのは一例だが、とにかく何もかもそんな具合で考えていたので普通に生活するだけでしんどかった。

改めて思い返すと結構追い詰められた思考回路だったなと思う。

薬は必要だったのか?だの何だの散々書いた上で簡単に意見を覆してしまい恐縮だが、あの頃の私にとっては薬の効能で強制的にぼけーっとすることも必要だったのかもしれない。

 

今は飲みたいときに飲みたいものを飲むし、特に言い訳もしない。電車に乗るのも怖くなくなったし、一人のときは好き勝手にだらだら過ごす。

少なくとも、あの頃感じていた息苦しさを感じることはなくなったなあと思う。

あの頃感じなかった別の種類の息苦しさはあれど。

 

以上で私自身がメンヘラだった時期について書きたかったことは大体書けたので、このカテゴリーは一区切りです。

黒歴史と認識している記憶をわざわざ引っ張り出して書くのは非常に気が滅入る作業でしたが、なんとなく心が軽くなったのでよかったかなと思います。