鬱病の母が首を吊って死んだ日のこと(前編)
母は鬱病だった。
私が高校生の頃には既に通院していて、毎晩山盛りの薬を飲んでいた。
ドラマとかでありそうないわゆる鬱病患者という感じで、夜になっても真っ暗な部屋のなか真顔で床の一点をじーっと見つめているような状態だった。
あれで普通に家事をしていたのだから今思えば酷なことをさせていたのだろう。
いつも薬のせいで頭が朦朧としていて、会話が成り立たないことも多かった。
「何をすれば良いかわからない」「こわい」とよく口にしていた。
母が死んだのは、私が高校を卒業し、大学の入学式を控えた微妙な時期の春休みだった。
私は地獄みたいな受験生活からやっと解放され、これから待ち受けているであろう華のキャンパスライフに心躍らせ、大学生といえばバイト!という安易な考えでとりあえず人生初のアルバイトを始めていた。
両親は私のバイトに反対だった。
学生生活に慣れて、生活リズムが整ってからでいいじゃないかと。
確かに、実家通い&無趣味&有り難いことに学費も全部負担していただいていた私が必死にアルバイトをしなければならない理由は特にないのだが、当時はとにかく家に居たくなかった。
鬱病の家族と同じ空間に居るのは非常にメンタルが削られるのだ。
具体的に何かできる訳でもないし、むしろ些細な自分の一言に相手はいちいち傷ついてしまうし、四六時中気を遣えるほど私はできた人間ではなかった。
何なら「あーまたぐじぐじ言ってるよめんどくせー、なんで私がコイツの面倒見なきゃなんねーの、まじだりー」くらいに考えていた。
細かいことはまた別の機会に書くが、そもそも母の鬱病の原因は私にもあったのに、このクズ思考である。
あれは三回目か、四回目の出勤日だったと思う。
自らバイトを始めたいとごねた癖に、なれない作業や怖い女の先輩、レジ打ちの恐怖から私は家を出る直前までいやだいやだと愚痴を言っていた。
いつもなら悲しそうな顔で困ったように黙っている母が、その日は違った。
「もう、バイトは辞めなさい。勉強だって忙しくなるんだから」
はっきりした口調だった。
いつもの虚ろな目とは違う、強い意志が見える眼差しだった。
鬱病になる前の、普通だった母に戻ったみたいに。
そんな風に母親らしく助言する彼女の姿を見るのは本当に久しぶりだったから、愚痴ばっかり垂れ流していた私は戸惑って「お、おう……」と微妙な反応をし、とりあえずそのままバイト先に向かった。
電車を降り、店に向かう道すがら、メールが届いた。
『沖ちゃん、大好きだよ』
きっと叱るような口調でバイトを辞めろといったことを後悔しているんだろうな、と思った。
それでこんなしょうもないメールを送ってきたんだろうと。
私は特に返信もせず、電話をすることもなく「キモッ」とすら思いながらケータイをしまった。
そして母は首を吊った。
死亡推定時刻は、メールの受信から約二時間後だった。
◇◇◇
レジ打ちに四苦八苦しているとき、女の先輩に休憩室まで引っ張られた。
上がりまでまだ一時間くらいある。
何かとんでもないミスをしただろうか、いきなりクビになるのではないかと怯える私に、困惑した表情の先輩は「ご家族から電話がきているから出ろ」的な指示を出した。
訳もわからぬまま電話を取った。黄ばんだ古い子機だった。
「いいか、落ち着いて聞くんだ」
父だった。
落ち着けと言う割に思いっきりテンパっている。
これは母が何かやらかしたな、と思った。
家出か、離婚するとでも騒ぎ出したかだろうなと、この時点では結構軽く考えていた。
「お母さんが首を吊った。今すぐ帰ってきなさい。落ち着いて、気をつけて帰るんだぞ」
え、マジで???????
クエスチョンマークの嵐である。
が、私はまだこの段階でも事の重大さに気づいていなかった。
私自身、かつてメンヘラだった頃に自殺未遂からの救急車で搬送という経験を何度かしていたからかもしれない。
なるほど首吊りかー、思い切ったなー、苦しいだろうなー、入院してんのかなー、お見舞いに通わなきゃならないんだろうなー、そろそろ大学始まるのになー、なんてことを考えていた。
「え、今、どっかの病院なの? 家じゃなくて病院いったほうがいい?」
「家にいる。警察の人も来てる。もう、息はないって」
ようやく私は自分の勘違いに気づいた。
母は、自殺未遂をしたのではない。
救急車で運ばれた訳でも入院している訳でもない。
既に手遅れだったのだ。
頭が真っ白になった。
とりあえず電話を切った。
「あのー、母親が首を吊ったらしいので帰ってもいいですか?」
テンパり過ぎて言葉を選べず、目の前で心配そうにしている先輩にドストレートに報告した。
先輩は余計なコメントせず、いいからさっさと帰りなさい、明日のシフトは来なくて大丈夫だから、とにかく気をつけてとだけ言った。
あの後すぐバイトは辞めてしまったので、二度と会うことはなかったが、めっちゃいい人だった。
ヤンキーみたいな外見で口調も荒く非常に怖い先輩だと思っていたが、人は見かけによらないらしい。
その節はありがとうございました。
とりあえず電車に乗った。
目の前に貸金業者の広告があって、やたら巨乳のお姉さんが微笑んでいたことを覚えている。
私はそのお姉さんの胸をぼーっと見つめながら、これは現実だろうかと考えていた。
まだ実感はなかった。
バイト中に母親が首吊るとかドラマでもみたことないぞ??
いやそもそも嘘の可能性もある……など、冷静に考えようとすればするほど訳がわからなくなっていく。
なのに泣きそうだった。というか泣いていた。
母と最後に会話したのは私だった。
近頃、鬱が悪化して怖いだの何だの言ってる母がうざったくて面倒くさくて正直適当にあしらっていた自覚もある。
そんなに死にたいなら死んじゃえばいいのに、と心底考えたことも、たくさんある。
もし本当に母が死んでしまったなら、もっと話せばよかった、話を聞いてあげればよかったと、この先一生自分は苦しむのかな、と思った。
電車を降りてバスに乗って、すぐ傍にお隣さんがいたけど挨拶できるような状態ではなかったのでシカトした。
ぼろぼろに泣いていたのできっと察してくれただろうと信じている。
バスを降りて全力疾走した。
この目で確かめるまで、母が死んだとは到底思えなかったのだ。
だってバイトいく前に話したじゃないか。
いつもみたいに暗いトーンでいってらっしゃいって言っていたじゃないか。
まさかこんな突然いなくなる訳がない。
というようなことを考えて走っていると自宅が見えてきた。
白バイが二台と、パトカーが一台止まっていた。
玄関のドアは開いていた。
何故か私はここでふっと冷静になった。涙も止まった。
家に上がると警察官の人がいた。
無言で二階を指し示したので、とりあえず会釈して、階段を駆け上った。
警察官が二、三人、その奥に父がいた。
床に母がいた。
体は布で覆われていた。
目を閉じた顔は真っ白だった。
首には黒い痕がくっきりと残っていた。
屋根裏部屋に登るはしごから、まだくくりつけられたままの細い縄がぶら下がって揺れていた。
あ、本当に死んだんだ。と思った。
その瞬間、私は泣いた。
父も泣いていた。
警察の方々がなんと痛ましい……的な表情をしていたけれど私は空気を読まずに泣いた。
むしろこっちは泣いてんだから空気読めよ!と思った。
何故か警察の方々は皆私たち家族を取り囲んでじーっとしていた。
何分経ったか、何十分経ったかわからないが、私の涙が引くと、警察の一人に別室に連れられた。
このとき事情聴取的なことをされるんだとわかった。
「お母さんは何か言っていましたか?」
「いってらっしゃいって言ってました……」
「お母さんと最後に会ったのは?」
「出掛ける前です……今日の昼です……」
「お母さんの様子に何かおかしいところはありましたか?」
「今日はあんぱんを食べてました……」
いろいろ聞かれたけれど、私は混乱していて、全然訳のわからない回答をしていた。
「何か、メールや電話などありませんでしたか?」
メール。メール!
『沖ちゃん、大好きだよ』とだけ書かれたあのメールを、私はこの質問を受けるまですっかり忘れ去っていた。
どうやら、遺書の類いがひとつも残っておらず、本当に自殺なのかわからない状況だったらしい。
結局あのメールが決め手となったようで、私は事情聴取から解放された。
警察の方々が何やらばたばたと忙しそうにしている間、私はもう一度母の顔を見に行った。
触ったら駄目だと言われたので、じっと観察した。
これはお母さんじゃない、と強く思ったことを覚えている。
私のお母さんはこんなに白くないし、動くし、喋るし、生きていた。
ここにあるのは抜け殻だ。これはお母さんじゃない。
そして、ケータイを取り出して母の死に顔を写メった。
もう二度と母に会うこともなく、母の姿を見ることもないのだから撮らねばという謎の義務感に突き動かされた。
早く消しなさい、と父が怒った。
警察のおじさんが困った顔で見ていた。
放置された犬がぎゃんぎゃん階下で吠えていた。
私は犬の元に行って、ひたすら背中を撫でていた。
母の死体が運び出されたり、警察の方が何やかんや話したり、父の上司の方が駆け付けてくれたりするのを、ただ見ていた。