鬱病の母が首を吊って死んだ日のこと(後編)
◇前回のあらすじ
鬱病の母を疎ましく思う私は、大学入学を目前に控え、逃げるように人生初のアルバイトに励んでいた。
そんなある日、シフトに入る直前に「沖ちゃん、大好きだよ」という母からのメールを受け取るもスルー。
その晩母が首を吊ったという連絡を受け、急いで帰宅した私を待ち受けていたのは警察のおじさんとテンパった父、ぴくりとも動かない母の遺体だった……
yurusarenakatta.hatenablog.com
正直、前編で当日起こったこと、私が受けた衝撃など書きたかったことはほぼほぼ書き切ってしまった。
今回は遺体が運ばれた後の思い出や周囲の人々の反応をメインに。
◇父の場合
未だに詳細を聞いたことがないが、妻が首吊り自殺をしたという経験は父に大きな影響を与えたように思う。
ちなみに私は一人っ子なので、当時三人家族だった。
元々父は亭主関白の気が強く、母に対して完璧な主婦を求めていた節がある。
妻は毎日三食作らなければならないという父の謎信仰から、母は欠かさずご飯を作ってくれた。
私は幼少期に外食をしたことがほとんどなく、同級生が口にする「ファミレス」という存在にただならぬ憧れを抱いていた。
専業主婦だった母が在宅ワークを始めようとすれば「そんなことをする必要がない」と怒鳴り、ことあるごとに「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」という時代錯誤のキレ方をしていた。
暴力こそ振るわなかったものの、典型的なモラハラクズ野郎である。
と、ボロクソに言ってしまったが、父自身はかつて貧しい家庭に育ち、真冬に夜逃げして食べるものが豆腐しかなかった時期もあったらしい。
自分は家族に不自由をさせたくないという責任感、完璧な家庭を作りたいという願望が一際強かったのだろう。
確かに、私は生まれてこの方食いっぱぐれたこともないし、富裕層とはいかないまでも生活のなかで不自由な思いをした記憶はないので、その点に関しては今も非常に感謝している。
あの日、私はバイト中だったので、母の自殺の第一発見者は父だった。
いつも通り会社へ行って、帰ってきて、当然夕飯を作って待っているだろうと想定していた妻の姿がない、名前を呼んでも答えがない、二階へ上がり電気をつける、首を吊った妻が目の前で揺れている――想像するだけで吐き気がするような光景だ。
父はどう受け止めたのだろう。
私が目にしたのは綺麗に整えられた後の死体だったから実際のところはわからないが、恐らくかなりグロテスクな状態だったのではないだろうか。
すぐ怒鳴る割に小心者でデリケートな部分もある父が、その瞬間受けた衝撃は計り知れない。
とりあえず父はテンパりつつもどうにか自力で縄を解き、母を床に下ろし、救急車を呼び、指示されるまま心肺蘇生法を行ったそうだ。
救急隊員に処置をしてもらうも、死亡が確認され、警察が呼ばれた。
その後私に電話を入れたという経緯らしい。
ちなみにこのとき、放置していたタオルの類を使用したようで、私の大事にしていたマフラータオル(初めていったライブ会場で買ったやつ)が何故か姿を消していた。
テンパった父が慌ててその辺にあったタオルを使って処分してしまったのか何なのか……謎である。
自殺の場合、一度遺体は警察で検視を行わなければならないらしい。
一通りのあれこれを終えた後、母は警察のおじさんたちに運ばれていってしまった。
母の遺体が運ばれた後、父と二人になった瞬間があった。
後にも先にも、父とハグを交わしたのはあの一回だけだ。
私自身めちゃくちゃショックだったが、それ以上に父がやばい状態だったのだ。
自分より動揺している人が目の前にいると冷静になるというアレである。
労働のしんどさや家族を養う重みをまったく理解しておらず、クソ親父という認識しかなかった私は、当時ティーンエイジャーだったこともあり父と会話すらろくにしていないような時期だったが、謎に母性を発揮してしまった。
嗚咽を漏らす父を抱いて「大変だったね、がんばったね」とか何とか言いながら、この先どうやって暮らしていけばいいんだろうと思った記憶がある。
父はその後、会社の上司に連絡を取り、母の両親に連絡を取り、葬儀の手配をし、その他の親戚にも連絡を取り、母の両親が泊まれるように布団の準備を整えていた。
ひどく動揺していたが、割とちゃんと対応していたんじゃないかと思う。
かと思えば突然「髪を染める」と言い出し、白髪染めをし始めたのでやっぱりテンパりまくっていたと思う。
ちゃんと白髪染めを落とさずに髪を拭いたせいで、バスタオルも枕も真っ黒になっていたし床にも点々とシミが残ってしまっていたし、父の白髪は全然染まっていなかった。
◇父の上司の場合
遺体が運ばれた後、父の上司が家までやってきた。
まだお通夜をどうするかなどもまったく決まっていない状況だった。
普通、部下の妻が亡くなったときってその日のうちに家まで訪れるものなんだろうか。
こういったときの通例というかマナーというか、一般的なことがよくわからないのだが、わざわざ即駆け付けるって結構イレギュラーな気がする。
母が鬱病だったという事実は把握していたようだったから何となく予想はついたのだろうと思う。
「何も喉を通らないだろうけれど」と言って、菓子パンやちょっとした飲み物を買ってきてくれた。
私は大して話さなかった。
父は少しだけ落ち着いたみたいだった。
彼はパッと現れてパッと去って行った。
とにかく「可哀相に……」という顔をしていたのが印象的だった。
私たちは可哀相な遺族なんだな、と思った。
◇友人の場合
父の上司が去り、手持ち無沙汰になって、私は携帯電話を手に取った。
当然母親が死んでしまうなんて初めての経験だし、なんだか居ても経ってもいられなかったのだ。
電話帳の一番上に出てきたそこそこ仲が良いが別に日常的にやりとりをしている訳でもない友人に電話をした。
馴染みの声を聞くと安心して泣いてしまった。
「いきなりごめんね、お母さんが死んじゃった、どうしよう、ほんとごめん」みたいなことを何周か話した。
友人は困っていたが、良い人だった。
変に慰めたりテンパったりせず、ただ私の話を聞いてくれた。
あの子は今何をしているんだろう?
もう何年も会っていないし連絡も取っていない。
すごくしっかりしていて、メンヘラ成分のある私からは眩しいくらい全うに生きている子だった。
何となくこの先も会うことはない気がする。
でも、あのときのお礼は言いたい気がする。
ありがとな!! 見てないだろうけど!!
◇祖父母の場合
その後、三時間ほどかかる場所に住む祖父母=母の両親がやってきた。
既に遺体が運ばれた後だったので、本当に母が亡くなってしまったのか半信半疑、受け止め切れていないといった様子だった。
まあそりゃそうだろう。
独身時代の母は我が道を行く自由人タイプだったという。
しょっちゅうひとりで海外に行っては数ヶ月音沙汰もない、なんてザラにあったそうだ。
そんな娘が首吊り自殺するなんて思えなかったのだろう。
「何か思い当たる理由ある?」と祖母に聞かれた。
私は私でちょっと精神がおかしくなっていたようだ。
「全部お父さんのせいだよ」と言ってけらけら笑った。
今だったら絶対に言わない。
父のせいかなんてわからないし、私のせいかもしれない。
もし父の存在が大きな原因だったとしても、あの日あの瞬間祖父母の前で口にすべきではなかった。
数年後、祖母に会ったときも彼女は私の発言を覚えている感じだった。
たまに今も我が家に遊びにきてくれるが、その度に父の前で「親より先に逝ってしまうなんてねえ……」と口にする。
父はいつも黙って聞いている。
私は父にも、祖父母にも、そして母にもかわいそうなことをしたなとたまに後悔する。たまに。
◇私の場合
検視が終わって遺体が戻るのは翌日になるとのことだったので、とりあえず今日は寝よう!という流れに。
父も祖父母も居たので起きているときは割と大丈夫だった。
しかし一人で布団に入るともうだめだった。
私はあの晩ほど泣いた夜はない。
めっちゃ泣いた。
もうとにかく泣いて泣いて泣きまくった。
何故母は最期に「大好きだよ」と私にメールしてきたのか?
本当は止めて欲しかったのかもしれないのに。
何故母からメールがきたとき私はすぐ電話しなかったのか?
私が電話していれば自殺する前に食い止められたかもしれないのに。
何故私は気づくことができなかったのか?
一番傍にいる私なら母の変化に気がつくことだってできたかもしれないのに。
何故もっと優しく接することをしなかったのか?
一番傍にいる私なら母に寄り添うことだってできたかもしれないのに。
何故母は私を置いて逝ってしまったのか?
むしろ高校を卒業するまで待っていてくれたのだろうか。
何故母はよりによって私をモラハラ親父と二人きりにしたのか?
長年鬱に苦しんできた母からの復讐なのだろうか。
そもそも何故母は鬱病になってしまったのだろうか?
私のせい? 父のせい? どうすれば良かったの?
というようなことを延々と考え続けては泣きまくった。
理由もわからない。真相もわからない。確認する術などどこにもない。
母の自殺を受け入れることもままならなかった。
突然だが、私はホラーが苦手だ。
ホラー映画とか、そっち系の小説とかを読むと暗い部屋が怖くなってしまう。
あの暗闇の下で幽霊がじっと身を潜めてこちらを見ているんじゃないか?とか思って後ろを振り向けなくなってしまったりする。
そこで私は布団のなかから片手を天井に伸ばした。
「お母さん、お母さん」と心の中で呼んだ。
声に出しても呼んでみた。
死んだ直後なら魂的なものがまだこの家の中にいるんじゃないかと思ったのだ。
手を伸ばしたら、いつも寝坊する私を起こしてくれたときみたいに掴んでくれるんじゃないかと想像した。
私はぐずぐずになった鼻を啜りながら一所懸命目を閉じて手を伸ばし続けた。
感覚を研ぎ澄ませれば幽霊を感じ取れるかもしれない、と。
寝落ちするまで伸ばし続けた手は、残念なことに何も感じ取ることはなかった。
翌朝、目が覚めると、泣きすぎたせいで上瞼と下瞼がぱんぱんに腫れ上がりお岩さんみたいな顔になっていた。
幽霊を感じようとして、幽霊っぽくなったのは私の顔だけでしたとさ!っていう。
笑えねーよ!!
そんなこんなで、母の死んだ日は過ぎていったのでした。
翌日以降のこともそのうち書こうと思います。
当日編はこれにておしまい。